時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「娘の卒業式」

もし私に子供が居たら?と時々考える時があります。「子は鎹」のことわざがあるように、もし子供が居たら今とは違った状況になっていたでしょう。でももし子供が居たら、私みたいな、いい加減な親では可哀想だった気もします。どちらにしても、アルゼンチンで私は教育とか学校とかには関係のない生活を送って来ました。そんな私が、先週中学校の卒業式に出席する事になりました。
事の顛末は、日本語教室の生徒の女の子が「卒業式に卒業証書を手渡す役をお願いしたい」と頼んできた事です。こちらの学校行事など無縁の生活でしたから、最初意味が全然分かりませんでした。それでよく聞いてみると、こちらでは中学の卒業式に壇上で卒業生が一人一人、自分が指命した先生に卒業証書を渡してもらうそうなのです。
「ええっ!私は学校の先生じゃないよ」
「でも校長先生にも許可をもらっているし、後は時子の返事をきくだけなんだけど・・・。だめかなあ?」
「でもなんでまた私を?」
「なんで?だって時子に渡して欲しいから」
「私なんかが行って恥ずかしくない?」
「どうして??」
そんな会話の後、なんかじわじわ嬉しさが湧きあがってきて「私でよければ喜んで。」と答えていました。

7年間の小学校のあと5年間の中学校ですから、卒業生はみんな17歳、18歳です。正直一番苦手な年代です。でも可愛い娘に恥をかかせないように、友人からちょっとおしゃれな服を借り、カビの生えていたたった一つのパンプスを取り出して磨き、何十年も仕舞っていた口紅もさしてみました。
卒業式は夜7時から始まると聞き、日本との習慣の違いに驚きましたが、会場に行ってもっとびっくり。
卒業生の女の子たちの華やかな事華やかな事。みんな個性的におしゃれをしています。とても中学校の卒業式とは思えませんでした。
私は父兄席ではなく先生の席に案内され、なんだか酷く場違いな気がしましたが、こちらの先生、みんなとっても気さくで明るくて、すぐに馴染む事が出来ました。
7時からの予定でしたが、アルゼンチン時間で開始は7時40分。理由が「卒業生がまだ来ていない」。これも日本じゃ考えられない事です。
卒業式は卒業生がロックの音楽に乗って入場。この時国旗を持つ子が最優秀学生で、なんと私の可愛い娘がその役を仰せつかっていました。
それから直立して全員で国家を歌い、続いてスクリーンに「今日までの道のり」と題して卒業生達の子共の頃からの写真が映し出されました。
その後、最優秀学業者とクラスで一番の人気者が表彰されました。あいさつは校長先生と卒業生代表のみ。それが終わったら卒業証書授与です。指命された先生が呼ばれて壇上へ行き、司会の先生が「とてもまじめでおとなしい子だった」
「スポーツ大好きで活発だった」などのコメントの後名前を呼びあげます。名前を呼ばれた子は壇上へ行って、先生から卒業メダルと証書、記念品をもらい、その後で家族と友人が壇上に上がって、卒業生と抱き合って祝福のキスを贈ります。何度も壇上へ行く人気のある先生も居れば、ずっと座りっぱなしだった先生も居て、なかなかシビアな世界だなあと感じました。そんなこんなで一人が終わるのに10分から15分はかかります。卒業生は39人。終わったのは10時を過ぎていました。
その後は会場を変えディスコパーティ。もちろん私は参加しませんでしたが、聞くところによると卒業生が帰ったのは朝の7時だったとか。
式中、派手なロックやポップスの音楽が大音響で流され、人気のある子の時はヒューヒューと口笛が飛び、恋人と壇上で抱き合って喜びあう子も、自分の子供を抱き上げる子もいて、日本の卒業式のイメージがぶっ飛びました。もちろん証書を手に涙ぐむ子もいました。

卒業をみんなで祝福する、家族に感謝する。そんな気持ちが素直に現れているアルゼンチンの卒業式に私は感動しました。
彼女の人生の節目の大切な時を私と共有してくれた事が本当に嬉しく、こんな素敵な経験をさせてもらって感謝しました。
「私、アルゼンチンに暮らしていてよかったよ。だってこんなに可愛い娘が出来たんだから。私を選んでくれてありがとう。それを快く許してくれた先生にも両親にも有難う。」
アルゼンチンに私が居る意味が少しはあった気がして、心が一杯になった幸せな夜でした。