時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「笑う門には福来る」


「キルキルキル・・・・」
甲高い鳴き声と共にアカゲラの子供たちが、今年ものうじょう真人の林にやって来ました。この声を聞くと、私は春も近い事を感じます。
今年の冬は思いもしなかった事が起こり、大変な思いをしました。苦しかったあの時の気持ちを懐かしいとか、良い経験が出来て良かったとかとても思えませんが、自分を見つめなおす時間だったことは間違いありません。
そして冬も終わり、春がやって来ます。
アカゲラの子供たちが元気に鳴き、水仙や野生ランの芽が出始め、果樹のつぼみが膨らんできて、時間の不思議さ、有難さを感じています。
苦しかった時間、私は何時も「頑張れ。自信を持て。」と自分を励ましていました。でも友人には泣き言や愚痴や恨みつらみを言って慰めてもらってい ました。
そんな時期、チリに移住している友人家族が手伝いを兼ね遊びに来てくれました。今回で4回目の滞在です。初めて出会った時は、下の子はまだおむつをした赤ちゃんでした。2歳しか年の離れていない兄弟は、喧嘩をしては大泣きをし、転んだ、ぶっつけたと言っては大泣きをし、よくそれだけ体力があるわ、と呆れるほど時には泣き続けていました。それが子供の特権、すくすく育っている証拠と分かっていても、子供のいない私は流石にその喧騒に驚いていました。
ところが今回は喧嘩をして泣いた時、
「もう赤ちゃんじゃあないんだから、何時までも泣かないの!」
「何時までも拗ねて泣くのはカッコ悪いよ!」と言う私のきつい言葉に、ぐぐっと我慢して泣きやみ、気がつくと私のそばに来て笑っているのです。
特に以前は騒いで追いかけまわしていた猫を、
「びんちゃん(猫のニックネームです)は可愛いなあ」「びんちゃんはふかふかで気持ちいいなあ」
にこにこ笑いながらやさしく撫でたり抱きしめたりしているのです。
正直言って子供が大好きというタイプではない私ですが、そんな時の二人を見るととても幸せな気持ちになりました。
悲しいから泣く、悔しいから泣く、痛いから、苦しいから、辛いから泣く。それは自然な感情です。でも周りの者も辛く暗い気持ちに巻きこんでしまいます。
けれども、笑っているとその明るい感情は周りも明るくし、沈んでいる気持ちを軽く浮き上がらせて楽にしてくれます。
私は笑っている子供たちを見て、本当に幸せな楽しい気持ちになりました。可愛らしさに二人をぎゅっと抱きしめたくなりました。
そうして子供たちから教えてもらいました。
「笑え!笑え!笑え!」と。
笑う事は素敵な事だ。笑う事はみんなを幸せにする事だ。自分の苦しさを人におすそ分けなんかしちゃあだめだって。
しわの増えた顔を鏡で見ながら思います。
この愚痴しわ、文句しわが深く刻まれる前に、笑いしわに変えようと。