時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「パタゴニアの田舎町での日本人」

海外で暮らす、しかも滞在ではなく移住者として暮らすと言うことは、自分が日本人だという当たり前の事を改めて強く意識します。

私がアルゼンチンに暮らし始めたのは「たまたま」と言う言葉が一番当たっている気がします。ですからアルゼンチンに同化しようと微塵も思わなかった代わりに、自分が日本人だと取り立てて意識することも「日本を知ってもらいたい」などと言う、気負った気持ちも持ち合わせていませんでした。

ところが、アルゼンチンでの東洋人移住者という立場は、理不尽な悔しさや怒りから「自分は自分」というお気楽な気持ちだけではすまされず、自分が日本人であることを嫌でも意識させられました。反面、移住者だからこそ感じる事の出来た感謝や感動もあり、いつしか「私は日本で日本人として育ってきたんだ」と強く認識するようになっていました。

高度成長期の終わりに新興住宅地の核家族の中で育った私は、伝統的な事は殆ど何も身につけずに来てしまいました。お花やお茶は勿論、楽器も出来ない、酷い音痴、料理も知らない、基本的なしきたりさえ知りませんでした。それでもアルゼンチンでの暮らしは根本的な価値観の違いから、私は日本人だと強く意識する事が多くあり、それがもっと日本を知りたいと思うようになったのです。

今年の3月からエルボルソンの文化センターで、週一回日本語を教えています。隣町に住む18歳の女の子が「日本語を学びたい」と希望し、知り合いの日系人に相談したら、巡り巡って私の所に話が舞い込んで来たのです。

最初は「私は日本語教師の経験がない」と断ろうとしたのですが、「日本に興味がある、日本を知りたい」と言う彼女の熱意に感動して、しかも町の文化センターの教室を貸して貰える事まで調べてくれ、彼女の家庭教師としてでは無く、日本語教室の講師として思い切って始めることにしたのです。授業はブエノスの日本語教師の方の協力を得て年間授業方針を立て、毎回工夫してテキストを作っています。

人前に立つことが何よりも苦手だったのに、今は緊張する事も無く、下手な冗談まで言えるようになりました。

日本語を教えると言うことは、とても難しいと感じています。予習に多くの時間を費やします。それでも、日本語と日本を見つめ直すとても良い機会を与えてもらったと感謝しています。

私はパタゴニアに暮らして、始めて日本の伝統文化の素晴らしさ、日本人の培ってきた感性の素晴らしさに気付きました。そして何より自分が日本人であることを大切にしていこうと思いました。

毎週木曜日、朝10:30から2時間、エルボルソンの文化センター(Casa de la cultura)住所Diag,Merino3270の第二教室で日本語教室をしています。文化センターは出入り自由です。どうぞお気軽に覗いて見て下さい。そして是非ゲストとして日本語教室にご参加下さい。大歓迎、お待ちしています。