時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「炎を見つめて」

nojomallin2007-09-06

焼き物の国日本で育ちながら、しかも瀬戸の近くに住んでいながら、私は焼き物に全く興味も関心もありませんでした。

子供時代は高度成長期。家族は他県から移り住んだ典型的な核家族。その為か私はインスタント物大好き。安いもの大好き。使い捨て大好きの子供でした。ですから食器はスーパーで買う大量生産の磁器。器を慈しむことも、料理や季節に合わせて器を選ぶこともありませんでした。

そんな私が縁あってここパタゴニアで焼き物を始めて早15年が経とうとしています。きっかけは引っ越して直ぐの頃、たまたま村の生活向上センターで隣人が「焼き物教室」を開催、私を誘ってくれたことでした。もし彼女が編み物やチーズ作りの先生だったら、私はおそらく今、焼き物はやっていないでしょう。

最初の5年は造形が主で、素材、焼きには関心のない典型的なこちらの焼き物をしていました。変わったのは、教室も終わり自分の作った作品を焼けなくなった時、夫が見よう見まねで薪窯を作ってくれてからでした。言われたことをそのまま鵜呑みして創意工夫の無い私と違い、常に「何故?本当にそうだろうか?」と考える夫は、自分で粘土をこね、窯を作り、薪で焼く事を繰り返す内、私以上に焼き物の虜になっていました。

そして、窯は規定の大きさと形でなければダメとか、オリジナル釉とは市販の化学釉を混ぜ合わせて作る事だとか、焼きはむらのある薪より電気が良いとか、こちらでは常識となっている事に疑問を持っていきました。

粘土、石、砂、カオリンなどの自然材料を求めあちこちに出掛け何度も試し、窯も作っては壊し壊しては工夫を加え作り直し、薪作りも木を切り割って乾かし、切った数の何倍もの種を播き木を育てと、気が付くとすっかり焼き物中心の暮らしとなっていました。

そして最初はただ「変人」扱いだったのですが、最近、本当に少しづつですが、私達の焼き物を「面白い」と思ってくれる人達にも巡り会えるようになりました。窯焚きは夫主体ですが、私も勿論参加します。煙突から炎が吹き出し、窯の中の作品が焼けて柿色に輝き始める頃、疲れはピークを迎えます。でも、一番興奮する時でもあります。粘土を採ってきた場所、苦労して粉にした石を混ぜ作った釉薬、放り込む薪の一本一本にも思い出と思い入れがあります。

まだまだまだまだ陶芸家などと言うのはおこがましい未熟者です。

ただ、炎を見つめながら、こんな贅沢な時間を持てることに感謝するのです。