時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「神様にお返しして」

nojomallin2007-08-16

小学生の頃読んだ忘れられない童話があります。
作者もわかりませんし、どこかの国のおとぎ話だったかもしれません。
詳しい内容は覚えてはいませんがこんなお話でした。

貧しい村の女の子が町のパン屋で働き始めます。店の人も良い人だったし、器量良しだったので、皆からちやほやされました。暫くしてパン屋の女将さんが里帰りの休暇をくれたので、綺麗なドレスを着て帰ります。
ところが村の入り口で年老いた貧しい老婆を見、それが母だと気づくと「あんなみすぼらしい母親なんて恥ずかしい」と、声もかけずに道を曲がり、そのまま町に帰ろうとします。ところが途中小さな沼があり飛び越える事が出来ません。「水に濡れたら折角のドレスが汚れてしまう。」と考えた彼女は、女将さんがお母さんにと持たせてくれた大きなパンを踏み石替わりにして渡ろうとします。ところが彼女が両足をパンに乗せた時、そのままパンごと沼底に沈んでしまいました。
沼の底には魔女が居て身動き出来ない彼女をあざ笑います。彼女は自分を沼の底に沈めた魔女や里帰りを薦めた女将さん、みすぼらしい母親を恨みます。怒りと恨みの中で長い時間を過ごしますが、突然沼底に光りが差し込んで、そこに母親の泣いている姿を見るのです。母は「お前がパンを踏みつけたのをみんな知っている。でも私はお前がそんな悪い女になってしまったとは思えない。お前を愛しているよ。」と話しかけます。その瞬間彼女は体が軽くなり、光の射し込む空に向かって舞い上がる事ができ、母の死を悟るのです。
その時彼女は初めて後悔をし「ああ、私は踏みつけたパンを神様にお返ししなくては。」と誓うのです。彼女は小さな鳥になり、誰かがまいてくれたパンくずを見つけると自分は食べずに仲間に知らせます。そうして彼女は今でも踏みつけたパンを少しずつ神様に返し続けているのです。

毎朝、私は犬用のご飯を煮た鍋を外で洗い、鍋にこびり付いたトウモロコシ粉や米屑は水と共に大地に撒きます。すると犬や猫や私を警戒しながらも、小鳥達がそれをついばみに来てくれます。特にエサの少ない冬はその数が多くなります。そしてこの物語を思い出しながらとても幸せな気持ちになれます。私にとって「神様」は、今私のまわりにある全て、土も草も鳥も犬も猫も風も木も虫も空も太陽も月も星も友人も家族も・・・。小鳥たちのついばむ姿を見ながら、私は感謝を神様にお返ししている気持ちがします。