時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「子供の夢に遊んで」

nojomallin2007-04-18

私は、まだ話せない赤ちゃんが大好きです。先入観の無い透明な心やふ わふわぽやぽやの感触がとても可愛いのです。でも実は、子供がとても苦手なので す。
子供が苦手な原因の第一は、私に子供が居らず、どうやって子供と接し ていいのかよく分からないことだと思っていました。
「ええい!大人の会話に勝手に割り込んでくるな!」「食べ物を粗末に するな!」「わめくな!憎まれ口叩くな!」「自分で出来ることくらい自分でし ろ!」「すぐに調子にのるな!」「挨拶くらい自分からしろ!」
子供独自の可愛いらしさやおおらかさを、こんな風に意地悪くとらえ、 本気で腹を立ててしまう私の方が余程「嫌なおばさん」なのかもしれませんが。
さて、そんな訳で我が家には、現代っ子が喜びそうな物は何一つありま せん。おもちゃも無いし、コンピューターも無いし、DVDもビデオも有りません。子 供の好きな甘いお菓子も作りません。友人が子供連れで来ても、ご機嫌をとることも せずほったらかしにしています。だから「退屈〜!早く帰ろうよ。」と騒ぎ出す子も 居ます。それでも私は知らん顔をしている「筋金入りの意地悪おばさん」なのです。
ところで、先日友人が小学生の娘と姪を2人連れて遊びに来ました。初め は家の中でうろうろしていた子供達ですが、「外に出ても良い?」と聞くので、我が 家の犬達を紹介して仲良くなってもらってから外に出てもらいました。車が通るわけ でもないし、知らない人が来るわけでもないし、危険な機械があるわけでもないし、 子供が落ちそうな池が有るわけでもないし、どうせ直ぐ飽きて家に入って来るだろう とたかをくくって気にもしていませんでした。
ところが予想に反して彼女達は、友人が帰るまでずっと外に居ました。 そして、「そろそろ帰るよ。」と呼ぶと、倉庫前に生えている大松の下から走り寄っ て来ました。少しも退屈なんかしていなくって、私にも「また来たい」とにこにこ笑 いながら挨拶してくれました。車を見送ってから、大松の下に行って私は「可愛い」 と思わず大きな声を出していました。
そこには小枝や松ぼっくりで作った小さな箱庭が残っていたのです。
「あっ、ここは子供部屋かな?ベットがある。台所ではお昼ご飯の準備 をしていたみたい。なにを作っていたのかなあ?」
彼女が作った夢の家に、いつの間にか私も入って遊んでいました。そし て、部屋にひいてあったござの模様を家に見立て、「玄関はここ。私の部屋はこ こ。」と夢中で遊んでいた子供の私を思い出したのです。
子供が苦手なのは、私に子供がいないからでは無く、私が子供の頃の気 持ちをすっかり無くしてしまったからかもな、と思ったりもしました。
与えられた物が無いと「退屈」と感じてしまう子は可哀相です。自然は こうして子供達の夢を膨らませる無限の可能性を持っているのです。こんど子供が来 たら、「外で遊んで見ようよ」と誘ってみようと思います。