時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「プラムの香に包まれて」

nojomallin2007-04-02

人間というのは面白いもので、自分の興味や関心がないと、目の前に あっても気が付かない事が沢山あります。特に私のように「せっかち」の癖に「ぼや 〜」としている者は、人の名前も顔もなかなか覚えられないし、数字はからっきしダ メですし、酷い方向音痴で未だにそう広くもないボルソンの町で道を間違えることも あります。
それはのうじょう真人の中においても同じでした。倉庫の直ぐ脇に落葉 松の植わっている小さな場所があります。そこは朝夕の散歩の時でも、車で出掛ける 時でも、薪を集めに行く時でも、必ず横を通る場所なのです。それなのに、昨年まで そこにプラムの木があることに気づいていませんでした。恥ずかしいことに気づいた きっかけは、去年始めてその木に「実」がなったからです。花が咲いた時では無く、 実がなって始めて気付いた自分の感性の無さに、正直恥ずかしくなりました。
木の大きさからいって私達が住み始めて数年後に芽を出したもののよう です。きっと今は亡き犬の天和(てんほう)が、別の場所にあるプラムが豊作の年 に、下に落ちた実を食べ、うんこ団子にしてここに播いてくれたのでしょう。
去年は小さな実を一つか二つ食べただけでしたが、今年は豊作も豊作、 薄紫の実が鈴なりに木に付いています。勿論初夏の花の季節も十分に楽しみました。 今は風が吹く度、ぽろぽろと上の方から熟した実が落ちてきます。鳥には大きすぎる のか、この時期は他にもっと好きな実があるのか、サクランボの時の様に、悔しい思 いで見送ることもありません。
ところが、ふっと気が付くと、我が家の犬「地和(ちいほう)」と「人 和(れんほう)」が夢中になって実を拾って食べているではありませんか。おまけ に、まだ酸っぱい実は口に入れた途端に「ぷいっ」と吐き出す贅沢さ。
私も家から大きな器を持ってきて、2匹と競争しながら実を拾い集めま す。
お腹をこわすくらい食べた後は、種を取ってジャムにしたり、ジュース にしたり。そして山盛りになった種を、まだ木の少ない場所に「大きくな〜れ」とば ら播く爽快さ。この種達が芽を出し、育ち、花を咲かせ、実を結び、数年後には、こ こがプラムの林となってあたりは甘い香りに包まれることでしょう。その時、「楽し いね。美味しいね。」と自然の一員として大地に共に生きる喜びを感謝できる人達が 一緒にいたら素敵だな、と夢は膨らみます。
甘い甘い香りに包まれて、大好きな犬達とプラムを拾い集める楽しさと 美味しさ。私の宝物の様な大切な時間です。