時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

エルボルソン生活の始まりのこと

nojomallin2005-07-02

ネコチアには8家族の日本人、日系人の方が住んでおり、とても親切にして頂ました。3ヶ月のネコチア生活でしたが、お陰で私のアルゼンチン暮らしがスムーズに始まったと感謝しています。
「元気で頑張って」「いつでも遊びに戻っておいで」
優しい言葉に送られて、夫と私は新天地エルボルソンに向けて出発しました。ガスコンロ、テーブルセット、冷蔵庫、ベッド、細々した日用品で車の荷台は一杯です。おまけに「ちょり」「マグマ」「うにゃにゃ」の他に成猫「はち」も加わり、狭い助手席も一杯です。重い荷台に強い向かい風の所為で、走行距離が延びず、夜も車中で数時間仮眠しただけで丸2日かかり、埃まみれでへとへとになってエルボルソンに辿り着きました。
「片づけは明日にして、シャワー浴びて一眠りしよう」
そう言って鍵を受け取りに不動産屋に入った夫が何故かなかなか戻って来ません。不安になった頃、暗い顔で出て来ました。
「昨日、借りた家に泥棒が入ったんだって。兎に角行ってみよう」
借家はストーブと棚、ガスコンロが有るだけの一間きりの小さな家。事情が飲み込めず、不動産屋と一緒に家に行って、私は唖然としました。
鉄の扉がこじ開けられ、全ての窓ガラスが割られ、文字通り家の中は空っぽ。信じられない事に便器まで持って行かれているのです。井戸の中にはゴミが投げ込まれており、怖くて水を使う事も出来ません。
その日は結局、部屋に散乱するガラスの後かたづけに追われました。救いは、入れ替わりやって来た鍵屋、ガラス屋、扉屋、便器屋(?)さん達が皆優しく、不安顔の私に
「こんな事はもう起こらないから心配するな」「空き屋だからやられたけど、人が住めば大丈夫」と声を掛けてくれた事でした。
それにしても、ネコチアで日本人家族に守られ、ぬくぬくと生活していた私には、強烈なエルボルソン生活の始まりでした。(つづく)