時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

のうじょう真人に導かれたということ

nojomallin2005-07-06

荷物の整理も井戸掃除も終わり、何とか生活出来る様になったものの、私の不安は大きくなっていました。更に気分転換にと林の先300m程の所を流れるケムケムトレウ河へ散歩に行って、想像もしなかった光景を見たのです。川沿いはゴミだらけで、そこに勝手に無断でお住いの方達の家が建ち並び、大勢の人が無言で見つめていたのです。慌てて引き返したものの、一番近い隣人があの方々とは「困った」というのが正直な感想でした。
何故なら、夫は諸手続きの為、一ヶ月以内にネコチアに戻らなければいけなかったからです。知人もおらず、電話も無く、林の中の一軒家で、一人で留守番する勇気が私にはありませんでした。かといって、私もネコチアに行ったのでは、僅かばかりでも、置いていく荷物が心配です。
「兎に角、この家を早く出よう」
そう決めたものの、どうして良いか分からず、また不動産屋に行くしかありませんでした。そしてそこで、この土地を紹介されたのです。
両親の援助金と二人のありったけの貯金を出せば、借金せずに買えた事。直ぐに住める、割と新しい家があった事。エルボルソンより上流で、遠からず近からずの距離だった事。林があった事。しいて理由を述べればこうですが、あの時は一度見に来ただけで“気に入って”しまったのです。
実際は土地の立地条件も厳しく、諸問題も抱えており、あの時もし調べていれば、きっと買ってはいなかったでしょう。でも、私は今、ここでの暮らしが好きです。ここで知り合った友人が好きです。落ち込む事やがっかりする事があっても、それ以上に毎日に感動があります。だから、直感を信じ、何も調べず決めて良かったと思っています。半年契約で借りた家を、たった2週間で出て私達は引っ越して来ました。マジンアオガード(「Mallin Ahogado」の「Mallin」をここでは「マジン」と読みます。)と言う地名と、福岡先生の「真の人たらん」の言葉からすぐに「のうじょう真人(まじん)」と決まりました。荷物を運び入れると、夫はネコチアに出発しました。不思議なもので、隣人も知らず、電話も無く、林の中の家に一人でいても、少しも不安は感じませんでした。(おわり)