時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

のうじょう真人のタケノコ狩り

11月になると私の午後の行事が一つ増えます。
「今日は北区にいってきまーす」
軍手をはめ、帽子をかぶり、布袋を担いで、猫の福助、犬のパクを従えcaña colihue(カーニャコリウエ、ネマガリタケ)の筍の収穫に出掛けるのです。
のうじょう真人を3区画に分け、毎日順番にまわっています。藪の中を中腰、時に四つん這いになって進み、カーニャコリウエの群生にたどり着きます。どの場所も1年ぶり。周りの藪がどんどん深くなっていくのが分かります。
「去年はここ、もっと簡単に通れたのに」
「あっ、この木、随分大きくなっている。」
ニョキッと出た親指程の筍を、手でポキポキ折って収穫しながら、「時の流れ」をしみじみ感じます。3年前までは毎年、ドイツ人のハンス、ウッシーの家で筍料理を教えながらお昼ごはんを一緒に食べたけど、彼らは母国へ帰ってしまいました。去年は私が、隣人の騒音にノイローゼ気味で、もやもやした、泣けそうな気持ちで筍を採っていました。そして今年は新しい相棒たちと、「今が大切、毎日を丁寧に楽しく過ごそうね」と、明るい気持ちを持って筍狩りをしています。
崖をよじ登ったり、小川を越えたり、1〜2時間の収穫の最後には息がはあはあ切れ、布袋もずっしり重くなっています。
この筍、食べられると知っていても、きのこと違い、皮むきが大変だし、売れないので誰も収穫しません。
塩ゆでだけでこりこりして美味しいし、野菜炒め、みそ汁の具、炊き込みご飯など、何にでも使えます。そして残りは天日干しにして冬の大切な食料とします。
「有り難い。有り難い。」
筍の生命、力を頂いて、今日も元気に過ごせることに感謝しています。