時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

のうじょう真人流 焼き物 

アルゼンチンに来て、マジン村に住み着いて、山の様にある“よかった”事の一つに、焼き物を始めた事があります。日本では夫も私も“土いじり”をしたのは、小学生の図工の時間のみ。まさか自分達の生活の一部(全て!?)になるとは思いもしませんでした。
きっかけは、私が言葉を覚えたかった事、友達がほしかった事、マジン村では手に入らない日本食用の食器(どんぶり、湯のみなど)を揃えたかったため、村の生活向上センターで始まった陶芸教室に通った事でした。半年間の教室の最終日、生徒の展示即売会を行いました。その時、故愛犬ちょりをモデルにした灰皿を、とても気に入って買っていってくれた人がいました。嬉しかったです。自分が楽しんで作った物を、喜んで、使ってくれる人がいる事に感動しました。
柵の修理、薪の準備、永住の諸手続、毎日が忙しく手いっぱいの夫が、それでも私の為に斜面を利用した小さな野窯を作ってくれました。そして彼も、そのまま土と炎の虜になってしまったのです。
窯の温度が上がらない、作品がすぐ割れてしまう、最初は失敗の連続でした。耐火温度の低い粘土をどうしたら高くできるか、その事ばかり考えていました。そんな時、日本の友人が彼女の恩師からと、芳村俊一先生の本を紹介してくれたのです。
自然と対話し、それぞれの土の持つ性格を知り、自然の色を引き出す芳村流焼き物に、強い感銘をうけました。それは、化学釉主体のアルゼンチンの陶芸には無い考え方でした。
「良い土」「悪い土」そんな物は無かったのです。自然をいじってはいけなかったのです。私達の愛しているマジン村の粘土、石、草木の灰、この土地で育まれた自然の輝きを出せる焼き物を作って行こう、そう決心しました。


夫主体の窯焚きは、用途に分けた薪割りから始まります。農場中に松の種を播く事も忘れません。この6年間に121回、計1765時間15分、炎を見続けてきました。
自分達の足で探した粘土を、乾かし、砕き、ふるい、水で練って寝かし、再びよく揉んで、ロクロを回します。時間を掛けて乾かし、焼き締めるつもりで一回目を焼きます。その作品に、灰、粘土、砂、粉にした石で作った手作り釉薬を掛け、いよいよ本焼きです。
「ありがとう、凄いね」思わぬ色を出してくれた作品に感動したり、
「ごめんね、持っている美しさを出す様、もう一度、焼かせてもらうから」と謝ったり。
自画自賛と言われても、のうじょう真人の焼き物は、マジン村の自然のやさしさや、元気、感動がいっぱい詰まっていると思うのです。