時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

焼き物

nojomallin2006-08-22

子供の頃や20代の頃の事は、あまり思い出さないようにしています。でも、知らず知らずにその頃の自分を思い出し、「ああ、嫌な奴」とか「本当に、ひねくれている」とか独り言を言って“はっ”と我に返り、一人で赤面しています。
あの頃は自分を「真面目で大人しく、好かれる事は少なくても、絶対に嫌われる事は無い」と信じていました。でも今、年をとってから思い出すと、私を心から憎んでいた人も多かったろうなあ、何であんなにひねくれていたんだろう、と恥ずかしくなったり、情けない思いばかりなのです。
勿論今の私が「良い人」だとは思えません。相変わらず根暗で陰険で、自分に甘く他人に厳しいのです。でも、あのころと大きく違う点は「悲観ばかりせず、前向きに考えなきゃあ」「まず感謝しなくては」と自らを反省する気持ちが出てきた事です。
そしてどん底に落ち込む前に、元気を取り戻す方法を見つけられた事です。
そこに居るだけで心が落ち着く場所。元気になれる場所。
それは四畳半程の小さなスペースの陶芸部屋です。
何をやっても自主性が無く、長続きしたことも無く、夢中になれるものがありませんでした。でも今は、陶芸部屋に入りお香を焚くだけで、「ああ、有り難い」と、とても幸せな気持ちになれるのです。
焼き物の真髄を極めるとか、無の心境で臨むとか、そんな大それた事は出来ません。ロクロも下手だし、作る食器の使い勝手が良い訳でもありません。ただ粘土に触れるだけで、楽しくて嬉しくて堪らないという、全くの自己満足の世界です。
解決が見つかるのかなあと思う様な問題が山積みしていても、この部屋に入り、粘土に触れると「まあ、何とかなるさ」と心が軽くなっていきます。大切な仲間を喪った時もここで悲しみと向かい合い、笑顔で彼らを思い出す事が出来る様になりました。
先の事は分かりません。綱渡りの様な暮らしです。
でも「ああ、ここで暮らせて良かった。焼き物に出会えて幸せだった。」と、思える今があることに感謝しています。