時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

こ、怖い。

2月に日本の友人から、「日本は寒いので、南半球の夏の暖かい話題を楽しみにしています。」とメールがありました。ところがその日から夏には珍しい雨が続きました。水不足と旱魃での山火事の心配をしていた住民にとっては待望の恵みの雨でしたが、気温がグッと下がりストーブを焚く日が続きました。

数日前からまた快晴の日に戻りましたが、夏から一気に秋に突入してしまった様で、暖かい話題とは無縁になってしまいました。

山の紅葉にはまだ早いですが、我が家のライラックの葉は深いえんじ色に変わり始め、今年は収穫ゼロだったリンゴの木の葉も黄色くなって、日が当たると周りの空気を黄金に染めています。

 

世界は相変わらず心が硬くなってしまう出来事ばかり起こります。

地球はいつか生命を育む事が出来なくなると思っていましたが、それはまだまだ先の遠い未来の実感の無い思いでした。けれども最近、世界の終わりが私のこの世界の最後と同じ時だと感じてしまいます。

だから益々、ここにずっと居たい。ここで共にに生きてきた命たちと最後まで一緒に過ごしていたい。と思います。

「今」という時を、とても貴重で愛おしく思います。

 

ところで

私はせっかちで並んでまで何かを手に入れたいと思いません。ですから人気のお店や美味しいお店には入った事がありません。生活必需品の買い物でも空いている朝一番に行って必要なものだけ買ってさっさと済ませています。

ところがこの2年、レジで距離をとって待たなくてはいけなくなりました。以前ならレジ前の空間で前の人にくっつく様にして1人か2人待つだけだったのが、今は同じ人数でも2メートルの距離の印があり、商品棚の通路で待つ様になりました。

以前は絶対行かなかったコーナーで待つ事もあります。

先日は子供のおもちゃのコーナーで順番を待ちました。なんだか新鮮でキョロキョロ見渡しました。面白かったです。面白いというよりもギョッとしたという方が正しいかもしれません。

お人形の雰囲気。これを子供が喜んで抱っこして可愛がるのかと不思議に思いました。嫌にリアルで可愛いより怖いと感じました。

縫いぐるみは大好きでかなり大きくなってからも名前をつけ側に置いていました。でも人形を可愛がっていた記憶はありません。だからでしょうか?どんな人形を見ても、欲しいとか可愛いとは思えません。

それにしても、アルゼンチンと日本ではいろんな感覚が随分違うんじゃないのでしょうか。日本の大人は子供にこのお人形をプレゼントしようと思うでしょうか?

 

どちらにしても、このお人形を抱きしめた子が、その思いを懐かしく思い出す時まで、幸せな時間がずっと流れていって欲しいと願わずにはいられません。

 

煉瓦暖炉が完成しました。煉瓦に熱が残り火は消えても温かさが残ります。

冬が楽しみです。

 

 

 

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結構なお値段なんですよ

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いい感じです

 

待望の暖炉

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作業中


ウクライナとロシアで戦闘が始まった様です。

詳しい事は分かりませんが、気持ちが沈んでいます。

両国の友人知人は居ませんし、パタゴニアからは遠い遠い殆ど縁のない国です。それでも、今この瞬間にも多くの市民が着の身着のままで隣国へ避難しようとしているのかと思うと、世界はどこまで壊れていくんだろうと情けなくなってきます。

世界情勢とか政治経済の事は分からないし、自然災害を含め世界中であまりにも多くの事が起きていて全てに実感が無かったけれど、今回のこのニュースはとてもショックで恐ろしいと感じています。

 

それでも私の日常は変わりなく続いています。本当はいろんな事が変わってきているのだけど、「大丈夫、平気」とそれに自分を慣らして過ごしています。

 

さていよいよレンガの暖炉作りが始まりました。5日間で写真のところまで進みました。

材料を買い運ぶことはしましたが、私は作業には参加せず昼食とおやつ作りと後片付け掃除に精を出しています。

毎日8人分の食事作りはなかなか大変ですが、例えお世辞であっても「美味しい」と言ってもらえるので励みになります。

薪準備の野良仕事は大好きで、農場には整理しなければいけない立ち枯れの木も多くあります 

が、気持ちと体力、能力がどんどん離れているのも事実です。それで薪消費が少なく、熱効率の良いレンガの暖炉を作ってもらうことにしました。

暖炉の中には空室があって温まった空気が巡回する仕組みです。冬は冷蔵庫の様に寒かった隣接のシャワー室(トイレ)も温められる工夫がしてあります。

規制の形や物ではなく、私の身長、豆腐や味噌作りの作業効率を考慮し、冬、寝た後の夜も暖かく、猫の福も幸せでいられる我が家に合った暖炉を設計してもらいました。

 

週末の土日は休みで、月曜日からまた作業が始まります。多分今週中には完成して試し焚きができる予定です。

私は自分では何も出来ないけれど、困った事や希望を口に出す事で、物事は進み形になっていくんだなあと感じています。

人に頼るのは罪悪で、恥ずかしい事だと思う部分が大きかったけれど、「私じゃ出来ません。どうしたらいいと思う?助けてください。力を貸してください。」と素直に口に出しても良いんだと気付きました。

その代わり自分にできる最大の事をして、心から感謝して、貰った恩を次に送っていけば、自分だけでなく周りの道も開け物事がどんどん好転して行くと思いました。

 

動けるうちに、話せるうちに出来る事をしていって、気持ちよく後に残るものたちにバトンタッチしていきたいと考えています。

 

 

 

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暖炉の焚き口部分。奥にオーブンを作ります。

 

大丈夫。どうって事ないよ

 去年の今頃は大規模な山火事で、煙で町が霞み、山の中腹からはのろしのように煙がいくつも立ち昇っていて、焼け付くような太陽見ながら、恐ろしさや悲しさなど、どうしようもない焦燥感で一杯でした。

今年は相変わらず雨は降りませんが、去年の様な息苦しさは感じません。このまま何も起こらず秋を迎えて欲しいです。

 

暖炉作りも具体的に進み始めています。耐火煉瓦や耐熱の扉も揃い、去年引っ越してきた日系人の家族が、暖炉作りの経験を兼ねてと手伝いに来てくれることになり、長年愛用した調理用薪ストーブの下取りも決まり、中旬には始められそうです。

想像以上に材料費がかかってしまい蓄えゼロになりましたが、空っぽになれば新しく入ってくる楽しみが倍増する気がしています。

子供の時から貧乏性で、手に入れた物をなくす恐怖がいつも有って、自分の物は自分だけの物、みんなと分け合って楽しむという心のゆとりは全く持ち合わせていませんでした。

私の基準は損か得かだけでした。誰に聞いても、若い頃の私の印象は「ドケチ」が一番初めくるでしょう。

この土地で暮らし多くに人に出会った事で少しは変わることが出来ました。

執着を無くしてゼロになってこの世界を卒業していきたいと思います。手放せる事も沢山有るけれど、まだまだ執着して手放せない事もあります。今後の自分の体調や生活の糧の

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あははは〜


不安も、ないと言えば嘘になります。

それでも「何とかなるし、何とかするから大丈夫」と笑え、解決を見つけ進み、私がいなくなった後も豊かに続いている農場を想像出来る自分がいます。

人から見たら変ですが、「私って凄い!」と最近よく思います。

 

ブエノスアイレスの友人を通して知り合った新しい友人。

彼がブエノスに帰る前に、私にアプリでスタンプを作ってくれました。随分若いけど、似てると思います。

いろんな場面を作ってくれましたが、私の一番のお気に入りを載せます。

No pasa nada は何でもないよ。なんて事ないよ。大丈夫。という意味だと解釈しています。

 

恐竜に咥えられて絶体絶命の状況でも、笑いながらそう言える自分でありたいと思っています。

たとえ食べられても、美味しかった?と笑える。

もし吐き出されても、いい経験ができたと笑える。

本当は友達になりたかったんだと恐竜に言われ、私もだよと笑える。

 

そう。

人生は何があっても大丈夫。全部いい経験なんだと、この先も笑って言い続けることができる様に、自分を磨いていきたいと思います。

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杖をついても歩き続けます

 

お餅大好き

ずっとやりたい事がありました。凄く日本的で、嬉しくって、美味しくって、楽しいこと。

お餅つき。

20年以上前、アルゼンチンの友人が桜の太い幹の丸太をくれました。薪にするのは勿体無すぎます。その時いらっした日本の大工さんが、それで臼と杵を作ってくださいました。日本の臼のように大きくて深いものは出来ませんでしたが、立派なパタゴニア臼ができました。

移住した日本人の方が来られた時や日本食が好きな友人を呼んで何度か餅つきをしました。

想像以上に喜んでくれました。

搗き立てのお餅も美味しいと驚く程食べてくれました。

 

ここ数年、エルボルソンで餅米が手に入らなくなったことや、コロナで人を呼びにくくなったことや、私の生活が変化して餅つきを企画するゆとりが無かったことなどがあって、臼と杵は部屋の隅で眠っていました。

でもずっと餅つきはしたかったです。

数年ぶりにブエノスの友人一家が尺八を日本で習得してきた友人を連れて泊りに来てくれました。

自然食のお店で餅米も手に入るようになりました。

ずっと曇りで外に遊びに行くことが出来ませんでした。

全てが餅つきの為に整った気がしました。

久しぶりなので上手く餅米を蒸かせるか、餅つきの指導?が上手くできるか不安はありましたが、この機会を逃したら、言い訳を続けてもう餅搗きはしないだろうと思いました。

 

友人たちに声をかけたら、20人以上の人が来たがったので、取り敢えず今回は半分の私を含めた11人でやりました。

2キロの餅米で2回餅つきをして、こしあんつぶあん、くるみあん、しょう油、野菜たっぷりの味噌汁、スライスチーズを用意しました。

 

餅は初めての子供もいましたが、美味しい美味しいともりもり食べてくれました。

予想外だったのは、アルゼンチン風のチーズよりも、味噌汁に餅を入れたお雑煮もどきが大人気でした。

そして餅米が搗くたびに粘りが出てくるのを面白がってみんなが杵で搗きたがり、ワーワー歓声をあげながら、とても楽しんでくれました。

 

ああ、楽しかった。美味しかった。喜んでもらえて嬉しかった。

2月になったら今回招待できなかった人たちを呼んで、2回目の餅つきをしようと思います。

今回よりも少し人数が増えそうなので、1キロを3回搗こうと思います。

 

これでこの杵と臼も、私がいなくなった後もずっと活躍出来そうです。それでも私はまだまだ元気にお餅を食べたいので、心も体も明るく過ごし、少しでも長くこの世界を楽しんでいたいと思っています。

 

写真の花はこちらで「石鹸花」と呼ばれています。

花を水と一緒に手で擦ると、泡が出て石鹸みたいになり、手が綺麗になります。

株をもらって農場に何度か植えましたが、残念ながらみんな枯れてしまいました。

今年は種を取って蒔いてみようと思います。

 

 

 

 

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群になって咲いています

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みんな興味津々

 

2022年の始まりに

2022年 

2が並んで可愛い感じのする年です。

子供の頃や若い頃には2022年をアルゼンチンで迎えているなんて思いもしなかったです。というか、そもそも2022年という年を想像した事がありませんでした。

それはずっと遠い未来の、自分には縁のない年でした。

それがどうでしょう!

日本とは遠くはなれた地で言葉もろくに話せないのに、周りの人に支えてもらいながら、自然や動物たちに守ってもらいながら、2022年を生きています。不思議な気持ちです。

 

去年、言葉に出す事で実現すると考えて、新年の抱負を沢山書きました。

一年が過ぎ

バイオトイレも道場の基礎もストーブも出来ていません。

梅の収穫に友人の所へも行けませんでしたし、農場を一緒に支えてくれる仲間も集まっていません。

でもワークショップは出来ませんでしたが、友人達と窯焚きはしました。

日本語教室はしていませんが、家庭教師をしています。

豆腐も味噌も私1人では作るのが追いつかないくらい注文を頂いていますし、美味しいといってもらえます。

持ち物もどんどん友人にあげて喜んでもらっています。

畑も順調です。

体調の方は好転はしませんが、気に病まず付き合っています。

 

実現したことや目処が立ったこともありますが、まだまだ先の見えないこともあります。でも、あの時から1年経ったんだと考えると、それだけで今ここに居る自分を本当に幸せだと思います。

生きている、動いている、働いている、楽しんでいる、新しい出会いがある、感動がある、夢がある。

 

今年は具体的に抱負を書くことはやめました。夢を諦めたのではなく、考えてみればもう何年も前から同じ夢を追っていることに気づいたからです。

この世界で私が目指していくこと、見つめていることは変わらない。だったら焦らず慌てず諦めず、ゆっくり自分のペースで進めば良いんだと思います。

 

この場所に辿り着いてよかった。

ここを利用するのではなくて、同じ命としてずっと大切に愛していく。

自然から学びたい。

そう感じてくれる人たちが、いつでもいつまでもいられる場所にするのが私の追い続けるものです。

人はそれぞれ考えていることも幸福を感じる瞬間も違います。だから方法が違って自分と合わないと感じても、その先の見つめているものが同じであれば、お互い認め合っていきたいと思います。

綺麗な人だったね。明るい人だったね。賢い人だったね。気の利く人だったね。そう言われるのはどう転んでも不可能ですが、「温かい人だったね」と思い出してもらえる様に、この先の人生を送っていこうと思います。それが最大の夢で、かつ最難関な事ですが…。

今年もよろしくお願いします。

 

みんなが笑顔でいられる時、笑っていられる時が、1秒でも多く訪れますように。

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町で水際に生える野生?の昼顔

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お姉ちゃんのホセフィーナ

 

2021年の最後に

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手作りクリスマスプレゼント


私は週2回街に豆腐と味噌を卸に行きます。そしてその時に買い物をして日本語の家庭教師、習字教室をします。それ以外は基本的に農場にいます。

 

最近、朝少し遅く街に行くと、もう車がいっぱいで駐車する場所に困る事が多くなりました。歩行者も増えて飛び出しがないか、いつも緊張しています。買い物に行ってもレジで待つ時間が長くなりました。

ああそうか…もう2021年も終わりで、夏の観光シーズンに入ったんだ、と気づきました。

 

農場でも年末年始の花、アンデスの山百合アマンカイが咲いています。収穫しなかったサクランボが半分干からびて落ちてきます。ローズヒップの花が咲いています。草むらで遊んだ犬たちが、ピンポージョという草の丸い種を体につけてくる様になりました。

毎朝外へ出るたびに草の背丈が伸びていて驚きます。畑の野菜もずんずん大きくなっています。

姿は見えませんが、蝉の声を聞く時もあります。

 

1日があっという間で、1週間が、1ヶ月が、1年が夢の様に過ぎ去っていきます。

時は変わりなく同じ速度で流れているのに、自分はその流れに置いてきぼりをくってしまったような気持ちがしています。

 

今年はどんな年だったんだろう?どんな人たちに出会って、何を思い経験してきたんだろう?

思い返してそれが何年も前のことだったりして驚く事が多くあります。

 

残していきたい事、実現したい夢はあるけれど、叶うまでにはまだまだ時間がかかりそうだし、その夢に近づているのかさえ分から無くなってしまい、これで良いのだろうか?とそんな思いがふっと頭をかすめる時もありますが、これで良んだ。今ここにいる事だけで有難い事なんだと直ぐに思い直します。

 

Tokikoは嫌なことってないでしょう。

いつもエネルギー一杯だね。

会うたびに元気になってる。

 

友人やボランティアの人に最近言われた言葉です。

例えそれが一部の私、表面だけの私であっても、そう評価してもらえた事を素直に嬉しいと思いました。

 

落ち込んで息が詰まりそうになる出来事がパタゴニアにも世界にも溢れています。

出来ない事が増えていく自分の体にため息が出ることもあります。

悲しい別れもあります。

でもそんな中から、希望が持て、楽しくて嬉しくて気持が温かくなる事を沢山見つけ進んでいこうと思っています。

 

2021年、読んでくださってありがとうございました。

2022年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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大好きな花アマンカイ

 

木と向き合う

 

真夏の1月2月は日射しがきつく日中はとても外では働けません。直射日光の当たらない林の中でも、やはり暑さの為能率が下がります。ですから、真夏がやって来る前の今、猛烈に薪準備をしています。

林の中の立ち枯れの木をのこぎりで切り倒し、枝を払い、持ち運べる長さに切ります。

そしてそれを手で運び、薪小屋の近くでストーブに入る長さに切り、太いものは斧で割ります。そして薪小屋に積んでいきます。

我が家に来た人が驚くのは、薪がきちんと積み重なって保管されていることです。

他の所では長さも太さもまちまちの切り出した木を、そのままどんどん放り投げて積み上げています。そして必要な時に、切ったり割ったりしています。

私は若い頃よりずっと作業能力が落ちてきたし、冬の寒い時に野良仕事をする元気はありません。道具だって可哀想です。

ですから冬に使いやすいように、今手間を少しかけています。

崩れないように工夫して、時間帯によって使う薪の大きさが違うので、そういう事を考えながら薪を積んでいく作業は、地味ですが私の好きな仕事です。時々、頭を使わないで済む緑の労働、何て言う人がいますが、田舎暮らしは頭を使わなければ続かない生活だと思うのです。

(でも私がまだ田舎暮らしを出来ているので、やっぱりあんまり頭は使わな来て良いのか?とも思っちゃいますが。)

私がチェーンソーを使わないのは、重すぎて使えないこともありますが、危険でうるさく、燃料がかかり、力で木を削って切るので無駄が多いからです。そして何より木に対して失礼だと思うからです。

のこぎりで時間をかけて切ることで、木に向き合い、対話し感謝したいからです。でもこの感覚はこちらではなかなか理解してもらえません。

スペイン語のLa vida は 生活という意味ですが、私が命ってどういうの?と日本語のわかるアルゼンチン人に聞いたらla vida と言われました。そして命も生活も同じ事じゃないと不思議な顔をされました。

こういう時に、感覚の違いを感じます。私は生きることと生活することは同じようで少し違う気がするのです。

 

けれども命に対してとても繊細な人が増えているのも事実です。

ベジタリアン(菜食主義者)はごく当たり前ですが、動物から搾取する卵も乳製品も、はちみつさえ口にしない人が増えています。私自身も動物性たんぱく質は食べません。食べても幸せを感じないし、美味しいとは思えないからですが、最大の理由は持病の悪化を防ぐためです。

ベジタリアンの中には考えが極端すぎるなと感じる人もいますが、肉食の国アルゼンチンで菜食主義を貫いているのは凄いなあとも感心もしています。

 

今日は久しぶりに小雨が降っています。

勢いがないのでお湿りにもならないかもしれませんが、12月に既にカラカラの旱魃が始まっていたので、気持ちはホッとします。

先週、落雷が原因で起こった複数箇所でのチリの山火事が、少しでも治ることを願います。

 

ローズヒップの花があちこちで咲いています。

さくらんぼが赤く色付き始めました。あまりにも大木なので収穫が難しく、実は木から鳥たちへのクリスマスプレゼントです。

半野生化したバラが茂みの中で香っています。

ラベンダーの蕾もほんのり紫になっています。

 

夢のように時間が流れていきます。

若い頃は終わりを意識することもなかったけど、今は残りの時間の一瞬一瞬がとても貴重に感じます。

ここに居られて幸せです。

 

 

 

 

 

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積んだ薪

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ローズヒップの花