時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

花を見、感じたこと

「これTokikoに」

そう言って我が家に来た若いカップルがプレゼントしてくれたのは、我が家への道に生えている草花。

アンデスの山百合アマンカイは好きな人の多い花ですが、あとは邪魔者扱いの俗に言われる雑草達です。

「ありがとう」心から嬉しかったです。

私は2年前、今まで何とも思わなかったイネ科の草達の花を自然の花畑だと気づき、感動しました。

色や香りのする花を人は愛でますが、嫌われ者の草だって、それぞれ個性的な花を咲かせている。それがとても美しいことだと知りました。

だからそんな花を綺麗だと感じ、私に贈ってくれた事が嬉しかったのです。

花瓶に活け、部屋に飾りました。そしてふっと子供の頃を思い出しました。

母の日に花束を贈りました。

その花束は朝、犬の散歩の時、田んぼの畦道や土手にはえていた草の束でした。でも私にはそれがとても綺麗に見えたのです。

「お母さんにプレゼント」ウキウキしながら渡しました。

母も、絶対に綺麗だと思っていると疑いませんでした。

ありがとうと言って受け取ってくれましたが、しばらくしてから部屋のゴミ箱に、束のままポイッと捨てられているのを見て、息が止まるほど驚き、ガッカリしました。

私も反抗的で、母に素直に甘えるような可愛い子ではありませんでしたから、いきなりそんな物贈られても母も戸惑うだけだったのでしょう。

「こんな草いらんわ」と言わずに受け取ってくれた事だけでも最高の優しさでした。

その時、家族でも感じ方、物の見方、価値観は全然違うんだなと漠然と感じました。

私は母親になれませんでしたが、もし子供がいたらどんな風に接していたのかなあと時々思います。私は母親には向いていないと神様が采配を振るってくれたのなら、母親ではないからこそ出来る事、感じられる事、伝えられる事があるはずです。

今更とか遅すぎるとか、そんなことはこの世界にはないのだから、これから私に出来る事、残していける事を少しづつでもしていくことが、私が今ここで生きている価値になると思っています。

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ゲンノショウコウでしょうか?葉が違うような…