時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

優しかった。姉の思い出。

8月3日

姉が逝ってから3年です。「ええ?もう3年。」という気持ちと、「まだ3年。」という気持ちが半分半分です。

2つ違いでしたから、私は姉の年を1つ超えました。

 

やっと姉の事を話せるようになりました。姉の遺影も飾れるようになりました。

今までは辛くて見ることが出来なかったのです。

 

姉が難病で寝たきりになった時、日本帰国を考えました。ここの後継者募集もしました。

でもそれを姉は望みませんでした。

姉の親友に、時子さんは自分の思いが強いから、帰ってきてもいつか後悔するよ。と言われました。今だから言いますが、正直ホッとした気持ちもありました。

姉が大好きだからずっと一緒に居たかったですが、農場と犬や猫を残して行く事に大きな心残りがありました。

 

突然の訃報を受け取った時、メールの文字は読めるのに、意味が頭に入ってきませんでした。その時は悲しいとも寂しいとも感じませんでした。何だろう?どういう事だろう?という不思議な感覚だけは覚えています。

 

私は自分の物を選んで買うことが苦手です。それはいつも姉が「これ時ちゃんに似合うから」「可愛いでしょ」とバイトの給料が入る度、服や靴や小物を買ってきてくれたからです。

高校卒業後、今までいた狭い守られた世界から出て、外の世界の複雑さに戸惑って引きこもり気味になった時も、車椅子バスケットや障害児の日曜保育のボランティアに私を引っ張り出してくれました。姉のお陰で社会と繋がっていられました。私でも何か出来るんだと自信を持つことが出来ました。

家を出てからも、当たり前のように姉に「これ送って」「これ買っといて」とお願いばかりしていました。

 

わがままで自分勝手で、好き勝手に生きていて、そのくせいつも家族に甘える私を、突き放しもせず、怒りもせず姉はいつも応援し支えていてくれました。

 

姉が生きられなかった分を、私が一生懸命生きようとは思いません。

姉は姉の人生をきちんと送ったのだから、私も私の人生をきちんと送っていこうと思います。もう迷いません。どう思われても、それで離れて行く人がいても、私は私の目標に向かって進みます。

 

命日から3週間後24日が姉の誕生日です。

姉が逝ってしまった日ではなく、生まれた日をお祝する事にします。

 

いつだったか、一緒にケーキ屋に行った時、姉がショーケースのゼリー菓子をじっと見つめ

「自分で買ってまで食べたいとは思わないんだけど、時々無性に食べたくなるのよね。誰かくれないかなあ。」と呟きました。

その時は私が買ってあげようなんて思いもしなかったけど、今ゼリー菓子を見る度に、その言葉を思い出します。

だから24日はゼリー菓子を買って一緒に誕生日をお祝いしようと思います。

 

そして今年、カレンダーをめくって初めて気がつきましたが、姉の誕生日から丁度2週間後が私の誕生日なのです。

そんな何でもない些細なことが、とても不思議で嬉しいです。

 

泊りに来てくれた友人の娘さんが、林の中の置物たちを見て、寒いからと、マフラーを編んでくれました。

農場に優しさが舞い降りました。

 

 

 

 

 

 

 

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