時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「小さな事 コツコツ」

4月5月と毒のある言葉を随分受け取ってしまいました。心が酷く汚れ、「一度お灸を据えてやる。その傲慢さを反省しないならギャフンと言わせてやる。」と、戦う事ばかり考えていました。
でもそう思えば思う程、本当に大切な事からどんどんずれて行ってしまっている事にも気付いていました。
そんな時ふっと「一日一体お地蔵様を作っていこう」と思い立ったのです。冬の始まりで一日中薪ストーブをつけるようになっていました。小さなお地蔵様ならここで焼く事も出来ます。でも義務にはしないで、時間のない時は無理して作らない、反対に時間があっても一日一体にすると決めました。
綺麗な心でとか、心を無にしてとか、そんな高尚な気持にはとてもなれませんでした。「不愉快な奴」とか「考えるだけで気持が荒む」とかそんな感情が湧き上がってきて困りました。でも作り始めると楽しく私の手の中で小さなお地蔵様が形になり表情を持つと「ああ、良い時間を持つ事ができた。ありがとう」と素直に思えました。
そしてお地蔵様だけでなく犬や猫や梟、その日粘土を持った時に心に浮かんだ物を形にするようになりました。
50体焼き上がった時、今度はこの子達を農場にお返ししようと思いました。立ち枯れして切り倒した木の切り株が農場には沢山あります。
暖かくしてくれてありがとう、パンを焼いてくれてありがとう、机や棚になってくれてありがとうそしてこれからはこの子達と一緒に農場で過ごして下さいという気持でした。
今は木の切り株を見て、ここで一緒に過ごす子はどんな子にしようか、と思いながら農場を歩き作るようになりました。
農場の粘土で作り農場の薪で焼いたので、長い時間が流れたらまた農場の土に還っていくんだと思います。私の汚い心を受け取ってくれた子達です。自己満足の世界です。でも80体に近づいた今は、始めた頃感じていた憎しみは無くなりました。
ああそうか、価値感の違いなんだ。私の正義は相手の正義ではないし、その反対も然り。私が嫌だと思う以上に相手は私を嫌だと思っているんだ。勝ち負けなんてない。そして何よりも、私の心が汚れて尖っていたんだ。
そう思っても長続きせず、また怒ったり恨んだりしてしまう心の貧しい私と、そうじゃ無いでしょ、全部自分の問題なんだよ。それに負の感情は頭と心の無駄使いだよ、と、戒める私が居ます。
一日一体。小さな事。
何時まで続けられるか分かりませんが、作る事ができる今を大切にして、静かな心で自分と向き合っていきたいと思います。そしていつか私の貧しい気持を救い助けてもらうだけでなく、本当に綺麗な心でお地蔵様が作れるようになりたいと思います