時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

還暦の自慢

朝起きて嬉しいびっくり


日本の昔話、姥捨山スペイン語を見つけました。

有名な話で知ってはいましたが、日本語教材に利用しようと改めてしっかり読んでみて、非常に驚きました。

姥捨に行く年が、何と60歳だったのです。

赤いチャンチャンコを着て還暦祝いをしているのは、とても年取ったお爺ちゃんお婆ちゃんだと、子供の頃感じていました。

それが…先日私がその還暦を迎えたのです。我ながら驚きです。

去年の誕生日の翌日、街でマジン地区の水源地を含む広大な土地を買い占めたイギリスの大富豪が高級住宅街を作ろうとしていることに反対する大きなデモがありました。

私も参加しました。その時、集まった知り合い、友人から、「誕生日おめでとう」の言葉をたくさん頂きました。嬉しくてつい

「来年は還暦(アルゼンチンでは女性の年金受給開始年齢)だから、記念の誕生日パーティ開くからね」と、言ってしまいました。

勿論その時は本気でそう思っていました。

ところが、冬の間に猫の福が亡くなり、冷蔵庫が壊れ、水ポンプも壊れ、洗面所の排水が漏れるようになり、雨漏りが2箇所で始まり、ネズミが天井で騒ぐようになり、PCが一つ使えなくなり、農場プロジェクトを一緒に始めようと思っていた男性が抜け、久しぶりに車のタイヤがパンクし、犬が敷地内に入ってきた子供をおどし、謝ったその日の夜、親がFBに激怒文を載せ、台所の床の一部が割れ、と、落ち込むことが続きました。

それで暫くは静かに隠れて暮らしたいと思い、パーティーはやめにしました。でも本当は自分が主人公で何かをする事が苦手で、問題が続いたことを言い訳にしていた気がします。

でも当日、朝起きると、今同居している女性が、おめでとうと部屋を飾っていてくれ、お昼前には友人が料理の材料を持ってお祝いに来てくれ、メールやWhatsAppに友人たちからの心のこもったメッセージが届き、別の友人はお祝いとして、寒い中、犬達の電柵作りの手伝いをしてくれ、日本語の生徒さんからも手作りのお祝いが届き、夕方友人宅に行くと、サプライズで家の中に日本語でおめでとうのメッセージが貼ってありました。

それは両手で数えられるほどの数ですが、それでも嬉しさでパンパンになった心が、大きく弾けました。そしてそれは私が自分の足で立って、よろめきながらも少しづつでも前へ進んできた証なんだと思いました。

一人で勝手に落ち込んでいた自分を恥じました。

誕生日は自分のためじゃない。全てに感謝する日なんだ。

この世に生まれさせてもらったこと。今生かさせてもらっていること。私としてここに存在していること。支えてもらっていること。

愚痴や悩みを言えばきりがありません。でも解決し改善し、学んでいく事こそ意味がある事なんです。

自分の生き方を自慢できる自分でありたいと強く思いました。

 

書き込み頂いたネズミ対策。

相変わらずネズミは同居していますが、走る回数は確実に減りました。でも何よりも、天井をゴンゴン叩いていた時より、静かで優しく、自分の気持ちが落ち着きます。

ありがとうございました

 

日本語を知らないのに サイトで探して手書きです