時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

きがつく思いやり

前回に引き続いてnecochea ネコチェアのお話を。
ネコチェアには1993年11月末から1994年2月初めまで暮らしていました。
その時に日本の桜が植わっていることは聞いていましたが、行ったことはありませんでした。
桜の苗木は1971年11月24日に金沢市より日本大使館を通してネコチェア市に寄贈されました。
けれどもネコチェア在住の移住者の中島恒夫氏(故人)が旧金沢商高の同期の友人穴田秀夫教授(その当時杏林大学教授)と個人的に話を進めたのが始まりだったそうです。
115本の桜と25本の桃の苗木が送られて来ましたが、残念なことに現在残っているのは40本程です。枯れてしまった木もあるでしょうが、ここはアルゼンチン。どなたかがこっそりごっそり持って行ってしまった方が多いでしょう。
場所は広大なミゲールリロ公園の一角にありますが、桜よりも周りの木が大きくなって、遠くからでも目立つというという事がなく、公園に来ても知らない人は気がつかないかも知れません。
私が行った時は満開にはまだ間がありましたが、日当たりの良い場所で一本だけ八分咲の木がありました。
桜を愛でながら、私は先輩移住者の方々に想いを馳せました。
この桜は最初はあまり知られていなかった様ですが、市制110年の記念に寄贈者への感謝の気持ちを込め日本人会で桜の公園の入り口に鳥居を作ったそうです。その時殆どの移住者の方達は、移住20年も経っていなかったはずです。つまり、今の私よりも若かったのです。
もし今私に日本から桜の苗木の寄付の申し出があっても、市と話し合って共同で桜のある公園を作ることなんてとても出来ません。ましてや何の援助もなしに鳥居を作るなんて逆立ちしたって無理です。
私は移住当初、当たり前のように日本人会の皆さんに甘えて頼って助けてもらいました。でも25年経って、それがどれだけ凄い事だったのか分かりました。自分で立っているつもりだったけど、私は多くの手に支えられ、立たせてもらっているだけだったのです。その事を桜が私に教えてくれました。
ところで、桜の他にネコチェアの浜辺へも連れて行って貰いました。
大西洋を見るのは実に25年ぶりでした。まだ寒く観光客は誰もいませんでしたが、代わりにトドの群れがゴロゴロ日光浴していました。
柵も何もなく、行こうと思えば(思いませんが)群れの中まで行けます。トド達も人を気にする事は全くありませんでした。
夏になれば何処かに行ってしまい、代わりに同じような体型の観光客(おっと、失礼!)が同じ場所で、ゴロゴロするんだろうなあと思うと可笑しかったです。
移住を決める前、ネコチェアに一度来ました。その時、南米アルゼンチンと言うだけで緊張して警戒していました。景色が良かったとか、町の雰囲気や住民が良かったとか、正直そう言うことは無かったのですが、でもふっと「この国で暮らすのも面白いかも」と思ったのです。
移住5年目くらいからの10年は、面白いより悔しい、悲しい、うんざり、と言った感情の方が強く辛かったですが、今は全く想像もしなかった現状や読めない未来を、面白しろいなあ!と楽しんでいます。
今年は寒く、もう10月も終わるのに一日中薪ストーブを焚いています。でも農場では真っ白なさくらんぼの花が満開で、すももの花は風に舞い落ち、りんごの花の蕾が木を薄紅色に染め始めて春の訪れを感じさせてくれています。