時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「かなう夢」

小学校の卒業間近、グループ毎に校長先生と給食を一緒に食べる機会がありました。その時校長先生に将来の夢を聞かれました。
「花屋さんになりたい」
「社長になる」
パイロット」
「お母さんのようなナース」
子供らしい、いろいろな夢をみんなは語りました。
私は「アフリカ行って狩猟監視官を5年くらいやったら、日本の山奥の学校の先生になる」と答えました。
校長先生はアフリカへ行くとか、山奥の先生とか、他の子供とはちょっと違う答えに驚いたように「夢は大きい方が良いからねえ。」と答えました。
あの当時「野生のエルザ」という本が大人気で、映画にもなっていて、私はアフリカの自然に猛烈に憧れていました。と同時に山の奥の奥の僻地で学校の先生になりたいとも思っていました。でも校長先生から大きな夢と言われて、こんな当たり前のことをどうして現実不可能な大きな夢みたいに言うんだろう?と不満でした。
中学高校と進むに連れて、外国なんて行くのが怖い!英語大嫌い。ついでに勉強も嫌い。人と接するのが苦手。特に子供は苦手。人前で話すことが出来ない。危ない事はしない。怖いことも嫌。珍しいことや、変わった事には興味も関心もないと言う好奇心の薄い自分に気がつき、あの時の夢なんてすっかり忘れていました。
ただ動物が好き。田舎で暮らしたいという思いは残っていて、北海道の酪農家や長野の養豚家に実習に行ったり、農業専門学校へ進んだりして、栃木と愛知の観光牧場で牛や馬や羊や小動物の世話をする仕事をしていました。
そんな私が今、パタゴニアの片隅で暮らしている事に不思議な気がします。でも子供の頃は思いもしなかった生き方をしている自分を面白いと感じもします。
子供の頃夢見た将来。
長い間忘れていたけれど、今、山あい(山奥じゃないけれど)で日本語だけど先生してるじゃない!アフリカじゃないけど、外国で暮らしているじゃない!それって、夢が叶っているんじゃないの!と気づきました。そしてどんな事だって、自分が望んだ事で、楽しく夢見た事は時間がかかっても多少形は違っても叶うんだと確信しました。
日本語の家庭教師をしている女の子。日本が大好き。漢字大好き。日本の文化が特に好きという彼女と習字の練習をしたら、とても喜んでくれました。そこで新年最初の授業は書き初めにしました。「夢を書くんだよ。それは必ず叶うから。」と言うと、家族旅行がしたい。日本へ留学したい。健康になりたいと語ってくれました。「したい」と言う言葉は、永遠にしたいがつづくから、「しました。」という完了形で語るべきだと、日本の友人が送ってくれた本に書いてありました。それで夢が叶ったという思いを込めて3つの言葉を色紙に書いてもらいました。
引っ込み思案で人付き合いが苦手で繊細な彼女だけど、日本へ行って人の輪を広げ、もっともっと日本人や日本文化が好きになって帰ってくる夢を、私も一緒に見ました。
幾つになっても、楽しんで楽しんで夢を見続けていきます。

アンデスの山百合アマンカイが農場のあちこちに咲いています。私の大好きな花です。


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