時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「なんて事!ずっと一緒だったのに、初めて見上げた桜の花。」

街のほぼ中央に郵便局があります。家には郵便配達など来ないのでネットが普及するまでは、街に行く度郵便局へ手紙が届いているかどうか確かめに行くのが楽しみでした。
街へ行ったら まず一番に郵便局へ行きました。
2000年頃から此処でもボチボチとネットが普及し始めました。最初は電話局に一台だけコンピュータがあって、それをみんなが使っていました。日本語対応などなく、ローマ字でメールをしていました。しばらくするとネットカフェが出来始めました。それから、あっという間に通信事情が変わり、Wi-Fiが出来るようになりました。ですから郵便局へ行くのは、2ヶ月に一度の電気代の請求書を受け取りに行くだけになりました。街のメイン通りに郵便局はあるので、日本語教室へ行くのも、豆腐の卸に行くのも、買い物に行くのも、必ず郵便局の前は通っていました。
街には一本だけ桜の木があります。こちらの人はさくらんぼが桜だと思っている人も多いですが、桜は桜で果樹のさくらんぼとは違うと知っている人もいました。数年前から郵便局の隣には桜があると聞いていましたが、花の時期にわざわざ花見に行くことはしませんでした。用事があるとき以外は街に行かず、行ったらやる事がいっぱいあっていつも時間に追われていました。郵便局へ通っていた頃でさえ、隣にある桜を愛でることをしていませんでした。
今年初めて満開の桜を見ました。
日本に良くある染井吉野とは違う種類で、日本で見ていた桜よりも重量感があり、華やかで、アルゼンチン人が好む桜だと感じました。
綺麗でした。この桜を見て、日本を懐かしむ気持ちよりも、ああ、私はアルゼンチンで暮らしているんだなあ、面白い人生だなあと、感慨の方が大きかったです。
そして何年もこの木は此処にあったのに、毎年花を咲かせてくれていたはずなのに、それを見る心のゆとりが全然無かった自分を恥ずかしいと思いました。
日本の桜には想い出が一杯あります。思い出すと泣きそうになる切ない事も、穏やかで静かな気持ちになる事も、楽しくて微笑む事もあります。日本人は桜に想いを託す事は多いんだなあと感じます。日本での桜の思い出も大切にしたいですが、今からはこの桜に私に新しい思い出を重ねていこうと思います。