時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「仙人」

夏にブエノスアイレスから遊びに来た若いカップル。我が家にしばらく滞在して、「私、ブエノスに帰ったらゴミを分別して、生ゴミで堆肥作る。水も大切に使う。要らないものは買わない。」と嬉しい事を言ってくれました。最終日、彼等だけで国立公園の湖で過ごす事になり、お弁当を作ってあげました。国立公園はゴミを持ち帰る規則でゴミ箱がありません。殆どの人が持ち帰りますが、中には誰もいない場所にポイ捨てする人もいます。彼らを迎えに行った時、「今日のゴミここに入れて」とゴミ袋を出すと、「一緒に食べちゃったからゴミは無いわ。」との返事。その回答の素早さ、あっけらかんとした態度に笑いがこみ上げてきました。

大型脱水機を回す音がした後、タオルを一本だけ干している人に、思わず
「えっ。まさかタオル一本だけ脱水にかけたの?」と言わないでも良い事を言ってしまいました。すると「自分がそんなおバカさんに見える?」と、私の質問にうんざりしたような返事が返ってきました。いつもエネルギー問題を熱く語る人だったので、確かに失礼な事を言ってしまったと、「すみません。余計な事を言いました。」と素直に謝りました。そしてその人が干した物を見て目を疑いました。タオルの他にスカーフが一枚。たったそれだけ。これは一体どういう風に受け止めたら良いんだろうと戸惑いましたが、次の瞬間笑いがこみ上げてきました。

つまりそういう事なんだな。人の基準とか、価値観とか、考え方とか、その人の常識とか、私の範疇じゃ理解できない事が多いのかもしれないな。と思いました。そして、私だって自分で気付かないだけで、人から見たら、とんでもない矛盾の言動をしているのでしょう。
他人は自分を写す鏡、他人の言葉は天の声だと言われますが、最近それを身に染みて感じます。だから小言や嫌味を言われると、以前なら落ち込んだり、きつい言葉に傷付いたりしたけれども、今は言ってもらえて良かったと感謝する気持ちの方がずっと大きくなりました。

芥川龍之介の「仙人」。
私の大好きな話です。権助さんは20年の修行で仙人となり、大松のてっぺんから青空を踏みしめ雲の中へ上って行きました。私は20年のパタゴニア暮らしの中で、やっと少し大切な事に気づきました。気付けて良かったです。まだ全然言動が伴わず、権助さんの足元にも及びませんが、農場の大松のてっぺんを見上げながら、私もいつかあそこから青空を踏みしめ雲の中へ上って行きたい、上って行こうと思っています。

農場の春の花、水仙が咲きました。これから日に日に色んな花の蕾が膨らみ咲き始めます。
まだ一日中薪ストーブを焚いていますが、日中は薪を足さずに火を消す日が近いでしょう。
パタゴニアの春を楽しみます。