時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「家族 犬編」

「口のあるものを飼っちゃあいけない。身動きできなくなる。」
先輩移住者に言われた言葉です。
でも私は犬や猫のいない暮らしは考える事ができませんでした。子供の頃自閉症気味だった私は、ずっと犬に癒され助けられてきました。
犬や猫を平気で捨てる人には絶対に理解できないでしょうが、少しでも一緒に暮らしたなら、どんな小さな命でも見捨てていく事は出来なくなります。それが鶏でもウサギでもカタツムリでも同じです。特にいつでも側にいて、どこにでも一緒に来たがり、長時間留守にして帰ると、腰から尻尾を振って喜んでくれる犬は、私にとっては欠く事のできない相棒です。だから絶対に裏切っちゃいけない、見捨てちゃあいけない、天寿を全うするまで辛い思いをさせちゃいけないと思ってきました。
50歳を過ぎて、持病を意識する様になって、「あと何年」という気持ちが強くなってきました。
そして、一生の責任を持ってあげる自信が無くなり、もう子犬や子猫を引き取る事は止めようと決めました。
昨年、実家の問題で日本帰国を考えました。その時先輩移住者の言葉を痛感しました。
結局20年のパタゴニアでの暮らしは、価値観、考え方の相違など、日本と日本の家族との距離を大きく広げていることを実感しました。日本は私にとっては住む場所ではなく、訪問する場所になってしまったと分かりました。もうどこへも行かない、パタゴニアで暮らすと決めたけれど、日本帰国を準備していた気持ちが伝わったのか、猫の福結び、たみちゃん、犬のお豆、パクが続けて逝ってしまいました。
寂しい。最後に1人残るのは本望の筈だったけど、でも未だ早過ぎると、とても心細くなりました。
そんな時、普段の私が決して町に居る時間では無く、行く筈もない場所を通る事になりました。そこで動物保護団体の犬の里親探しの活動に出会ったのです。
今までの私なら捨て犬たちを見るのが辛く、目をそらして通り過ぎていたでしょうが、気がつくと自分から近づき話しかけていました。
成犬の雌。私が引き取る事のできる条件を言うと、一匹の中型犬を紹介されました。
私の住む地区で1ヶ月前に保護し、一度は里親に引き取られたけれど、炎天下に水ももらえず繋がれているのを保護団体の人が見て、また引き取ってきたと言います。
幸いメンバーの1人が私を知っていて、話はトントン拍子に進みました。
成犬と言ってもまだ若く、我が家の伏姫と上手くできるだろうか?という不安はありましたが、喧嘩することもなくホッとしました。
引き取ってきた子は車にも人にも慣れていました。
今までどんな生活をしてきたのか?どんな人達と暮らしていたのか?
一度伏姫に叱られ悲鳴を上げましたが、それ以外、決して吠えたり鳴いたりしません。
「犬なんだから吠えてもいいんだよ。ワンって言ってごらん。」と言っても、可愛い目で私を見つめるだけです。

この子が来てから、パタゴニアの大地に張ったけど干からびて倒れそうだった私の根が、ぐんと伸び広がった気がします。
いつかここを犬たちの養老院にしたい。最後の時間は、食事も寝床も心配せずに過ごさせてあげたい。私といる事で安心して欲しい。でもそれは、実は私が犬達に癒され支えられる事なのです。あと何年と先を数えるよりも、今できる事、やりた事をやってみようと決めました。そして、その思いを受け継いでくれる人達がきっと現れると思える様になりました。

お姉ちゃんの名前が「伏姫」。お姫様なので、妹分の彼女はこれしかないでしょう。
という訳で、名前は
「お嬢」。お嬢ちゃんです。これからよろしくお願いします。