時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

幸せだった。日本。

実は今、日本で書いています。

2週間の日本滞在でした。

今回は今までお世話になった日本の方々に出来るだけ会って、直接お礼が言いたかったのです。

友人の少ない私でも2週間では短すぎ、会えない方も沢山いました。

東京、横浜、日光、名古屋、三重、岐阜。荷物を持っての移動で、体力的にもきつかったですが、多少無理してでも、会いに行って良かったです。

日本訪問のきっかけは、とても信頼できる留守番の方がいて、安心して家を空け犬や猫達をお任せできた事です。これってアルゼンチンではとても大切な事なんです。

ただ、アルゼンチンでの私の収入源は固定給ではなく、休むとその間無収入。これはなかなか厳しい状況なので、往復の時間と合わせると3週間が今の状況では目一杯でした。

25年の移住生活で5回日本へ帰国しました。家族が揃っていて、実家でのんびり甘えて過ごせた時と、今では日本の感じ方が全く違いました。

今回の日本は失敗もしたけど、友人に助けられて乗り切る事ができ、ハラハラドキドキと、ワクワクウキウキが交差する充実した日々を過ごす事ができました。

今回は日本を旅行者として見ていました。

なんて綺麗な国。便利な国。親切な国。静かな国。安心できる国。信頼の国。

でももう私が住む場所じゃないと思いました。

私はパタゴニアの暮らしが、どんなに私らしく暮らせる場所か再認識しました。それは日本が嫌ということではなく、日本も大好きでもパタゴニアも大好きという事です。

 

今からアルゼンチンに向かいます。重い荷物を持っての成田までの移動や、飛行機での乗り換え移動は正直緊張しますが、日本で過ごした楽しい日々が体の中にいっぱい詰まっているので、元気にパタゴニアに帰ろうと思います。

 

写真はトイレに入ったら、とても日本らしいと感じ笑えました。

 

 

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