時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

心配は心の無駄遣い

4月が始まりました。

朝は8時を過ぎても日が登らず、薄暗いです。

ワンコ達の体内時計は夏時間のままらしく、8時前にはご飯を欲しがりますが明るくなる8時半過ぎまで無視しています。

そろそろ朝晩は薪ストーブが恋しい季節になりました。

 

今年はボランティアも去年の3分の一ほどしか受け入れず、日本語教室も休講のままでした。

薪準備は遅れていますが、気分的にはのんびりと過ごせました。

山火事の多い夏でした。

雨が降らず、あちこちで水が枯れ水不足になっています。

それでも果樹が大豊作です。プラムもリンゴも取りきれず、木の下は果実のジュータンが出来、甘い香りを漂わせています。

 

ここに住み始めてからずっと、朝夕犬達と30分かけて農場を回っていました。農場といっても殆どが自然林の残る林で、水路が通り、上り下りの多い土地です。

季節季節の山菜やキノコを探し、薪になりそうな立ち枯れの木を見つけ、果樹の季節には食べながら、あちこちに種を放り投げました。

犬達が後になり先になり、自由に走り回ってついてきました。猫やひよこから育てた鶏が一緒だった時もあります。

それは私にとっては大切な1日の始まりと終わりの習慣でした。

ところがここ数年、最初に夕方の散歩が無くなりました。そして朝の散歩も距離が半分になり、最近では水タンクの確認に家の周りを歩くだけになってしまいました。

理由はいろいろありますが、一番大きいのはやはり体調の問題です。転んで怪我をすることだけは絶対に避けたいので、坂の多い林の獣道を歩くのが困難になってきたのです。

次は隣人が増え、犬達がお隣に入ってしまう心配です。鶏や羊を飼っている人が多く、それを襲う犬や狐は簡単に撃たれたり、罠にかかったり、毒エサを食べさせられたりします。

 

農場を散歩を兼ねて見回る事をしなくなるなんて想像もしませんでした。何があるかわからないアルゼンチン。大袈裟に言えば不法滞在されているかもしれないのです。

でも見回らなくなってみると、予想に反して心が柔らかくなっていきました。悪い想像にかられ人を疑い、変に緊張していた自分が恥ずかしくなりました。悪い想像は悪い現実しか招かないと気づきました。

林の木々達に挨拶できなくなったのは寂しいですが、いつだって心は彼らの中へ飛んでいけます。一緒に生きていると実感できます。

最近は、どうやってこの農場を、自然達を次に手渡していこうか?と言う事を考えます。

後は野となれ山となれ、と自分のいなくなった後はどうでもいいや、とは思えません。

今までずっと私を守り支えてくれ、一緒に成長してきた農場の命達を、愛し大切に思ってくれる人達に手渡していきたいのです。

 

出来なくなったことが増えた分、心のゆとりや人を信じる気持ち、認める気持ちが出来てきました。そして今ある自分を素直に受け入れていくこともできるようになりました。

 

ここは特別美しい場所ではありません。目を見張るような景色もありません

でも最近「素敵な農場だね」「気持ちがいいね」と言ってくれる人が増えました。

それが嬉しくてたまりません。きっとそう感じられる人たちが集まってきたんだと思います。

 

久しぶりに夕方空を見たら夕焼けが綺麗でした。

農場の果樹やライラック、柳達の黄葉が始まりました。

ハチドリも家の周りを元気に飛び回り始めました。

命があふれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スモモとライラック