時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

なんくるないさ

ボランティアを受け入れる季節になって、毎日慌ただしく過ごしていました。

ふっと気づくと2023年も終わろうとしています。

 

2024年に日本へ行くと以前からいろんな人に宣言してきました。

最後に日本へ行ったのが5年前。日本でなければできない手続きがあり、その期限が2024年2月なので、声に出して言う事で実現に向けて進んで行こうと思っていました。

ところが体調が悪化、今の状態ではとても1人で長時間移動出来る状態では無くなり、行くぞ!と言う気持ちが日々萎んできてしまいました。

どうにかなるさがモットーだった私も流石に心が折れかかっていました。

そんな時、自転車で世界を回った日系二世の男性が我が家にボランティアでやって来ました。彼は日本語も堪能で、私の子供の年齢といってもおかしくない36歳の若者ですが、本気で本音を言い合える関係が直ぐに築けました。

機械や自動車に詳しく、農業経験もあり、チェーンソーを使ってずんずん薪準備もしてくれました。私の体調不良も見て見ぬ振りをする訳でも無く、過度に心配するわけでも無く、「転んでもいいけど、怪我だけはしないように」と私がリラックスできる言葉で気遣ってくれました。

新しい見方や考え方を示してくれて、心が折れる前に又毛が生え始め、元の図太さに戻ることが出来ました。

 

以前見た夢を思い出しました。

狭い木の柵の中に閉じ込められ、身動きも出来ない状態で焦っていたけど、ふっと上を見たら、屋根が無く開けていたのです。それで「ああ、ここから出られるんだ」とホッとしたところで目が覚めました。

八方塞がりでどうにもならない時でも、落ち着いて周りを見回せば、必ず解決方法は見つかるんだと思ったのです。

今回も同じ。この先どう解決していくかまだ分からないけど、どうにかなるさと思えるようになりました。

なんくるないさ

沖縄移民の子供である彼が教えてくれた言葉です。なんとかなるさ。

彼の好きな漢字は「危機」。それは危ないこと(困難)は好転する機会だから。

 

日本行きはもう少し先になりますが、必ず実現します。そして残りの時間は大好きなこの場所で、自分らしく生きていこうと思います。

 

彼が私に問いかけた言葉。

時子さんはこの先、何を目指しているの?何をしたいの?それ以外に大切な事ってある?

 

そっか、目指すものがあるんだから、それ以外は大した問題じゃないんだ。悩む事なんて全然無いんだ。

漠然とした夢では無く、誰にでもはっきり伝えられる言葉を見つけようと思います。

 

笑っていれば なんくるないさ

目指すものを見続けていれば なんくるないさ

恩送りしていけば なんくるないさ

感謝があれば なんくるないさ

 

いい一年が過ごせました

新しい年も笑って過ごします

まだ半分ですが、今期のボランティアは良くも悪くも度肝を抜かれることが多いです。

そのお話は次回にします。

 

今年最後のブログです。

皆さまありがとうございました。

2024年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

ありがとう農場インスタグラムです

もしよろしければご覧ください

 

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豆腐講習会

3日日曜日 豆腐taller(講習会)をしました。

豆腐の作り方教えてと言う人は多く、今までは無料で個別に教えてあげていましたが、色々忙しくなったことや、体力的、経済的にきつくなって来たこともあって、それならきちんと準備して講習会をしようと思いました。1月2月に味噌講習会をしたら好評で、私も楽しかったし、1回の予定が希望者が多くて3回開催した事も自信につながりました。

募集したらあっという間に定員になって、3回は開催する事になると思っていましたが、いざ蓋を開けてみると、定員割れの5人しか集まりませんでした。しかもその内の2人は豆腐作りよりも、何年ぶりかに私に会いに来てくれるのが目的の180km離れた町に住む友人でした。

豆腐作りは麹から作る味噌と違って、覚えたら直ぐに家で出来るので、手作りの出来立て豆腐を食べてくれる人が増えたら嬉しいと思っていた分少し拍子抜けした感じはありました。

でも少人数だからこそ、和気あいあいと楽しく過ごすことが出来ました。

最初に私が説明しながら豆腐作りを実演しました。そして湯気の出るほかほか出来立て豆腐をみんなで試食しました。

豆腐は作ってからどのくらいで食べられるの?

と熟成期間が必要だと思っていた人が意外と多くびっくりしました。

温かい豆腐なんて初めてという人ばかりで、「美味しい美味しい」とパクパク食べていました。

落ち着いたところで2回目。

これは私は一切口出しせず、みんなに作ってもらいました。今さっき実演を見たばかりだけど結構忘れているもので、手順を一つ飛ばしそうになって、私の「ビッ、ビー」と言うペナルティーが出て、あわててノートを見直すと言う場面もありました。

集まったのは初顔合わせの人ばかりだったけれど、皆直ぐに打ち解け、ずっとの友達のように冗談を言いながら楽しく作っていました。

こんなアルゼンチン人の明るく人懐こい所は羨ましい限りです。

 

豆腐作りの後は、豆腐を澱粉でまぶし、揚げ、それに醤油と砂糖と酢を合わせた甘酢あんを絡めた、私流いい加減適当豆腐料理を作りながら紹介しました。

 

そして試食会。

豆腐を味噌に漬け1ヶ月寝かせた味噌豆腐。

作った甘酢あんかけあげ豆腐。

凍豆腐の天ぷら。

おからコロッケ。

おからせんべい。

作りたて豆腐の醤油かけ。

バナナ入りの豆腐アイスクリーム。

 

あまり日本的な豆腐料理ではありませんでしたが、新しい食べ方として紹介することが出来たと思っています。

 

子供の頃から人が苦手で、目立つ事が嫌いで、いつもその他大勢の中に紛れていました。

また、何でもしてくれる姉がいたこともあって、料理のお手伝いとかした事がありませんでした。食に興味も無く、インスタント、大量生産の市販のお菓子好きでした。

料理は相変わらず苦手ですが、そんな私がお婆ちゃんと言う年齢になって、味噌や豆腐作り講習会を企画実行し、それを楽しいと思えるのですから夢のようです。

 

人は、生き物はいくつになっても変われるし、新しい事を始められるし、自信を持てるし、新しい発見があるし、自信を持てるんだと実感しています。

 

「元気ですか?」

「大丈夫?」

と聞かれたら、笑って「ありがとう。元気元気。大丈夫!」と答えられる自分でいようと思います。

 

玄関横のスイカズラの花が、甘い香りを漂わせています。美しい季節です。

 

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こういう事もあるのよね〜

ボルソンの町にはガソリンスタンドが4つあります。以前は同じスタンドを利用していましたが、ここ数年は気分と道順で他のスタンドも利用する様になりました。

その日は友人の家から近かったので、以前よく利用していたスタンドへ行きました。

行くと、初めて見る女の子がやって来ました。

いつも通り

「común lleno (普通のを満タンね)」と頼みました。

何時もならそれで満タンにしてくれ料金を払って終わりになるのですが、その子は

「何リットル入れますか?支払いはカードですか?現金ですか?」と聞いてきて、ああこの子は新人だなあと直ぐに分かりました。

アルゼンチン人らしく、人の話は聞かないで自分の話だけするタイプらしく、めんどくさいと思いながら質問に答えました。

最後に「súper 」と言ったけど、意味がわからず、めんどくささも手伝って「はい」と言ってしまいました。

彼女が給油を始めたのですが、バックミラーで何気なく見ると、ディーゼルではなくガソリンを入れているのです。

ええええ~‼︎

慌てて車から降り、「何を入れているの!」と叫ぶと、先輩従業員がやって来て直ぐに給油を止め、彼女にこれはディーゼル車。ここ(給油口の所)に書いてあるでしょ。と、注意しました。

彼女は別段慌てる様子もなく、だってこの人がsúper (スーパーガソリン)って言ったんだもの。と私のせいにしました。

それからの先輩の対応の早かったこと。私の車の後ろに赤いポールを立て、他の車が並ばない様にして、細いホースを持って来て給油口に突っ込みチュパチュパ(なんて言うんでしょう?)で中のガソリン入りディーゼルを抜き始めました。

入れたガソリンは16リットルでしたが、車のタンクには8割近くディーゼルが入っていて、全て抜くのに1時間近くかかりました。

抜きながら先輩従業員が「あの子は新人だから」と庇うので、「ガソリンスタンドで働いている人が、こんなミスをするなんて信じられない。」と言い返すと、「こんなことよくある事だから。全然問題ないから」と平然と言うのには驚きました。でもあの対応の早さを考えるとあながち嘘とも思えませんでした。因みに抜き取ったディーゼルをどうするのか聞いてみると、「大きなタンクに戻す。混ざったのが少しだから問題ない。」とごく自然に当たり前に答えたのでまたまたびっくりでした。

起こった事をぐちぐち言っても仕方ないし、喧嘩にならずに文句を言うだけの語学力も会話能力もないので、私がアルゼンチンを甘く見た所為だと諦めました。

ところが、やっと空になって、ディーゼルを満タンにした後、そのスタンドの主人らしき女性がやって来て、私に全額料金を請求したのです。

これには流石に腹が立って、「何で私が払わなきゃあいけないの」ときつい口調で言うと、「だってあなたが彼女にsúperって言ったからでしょ。あなたのせいです。」と言われてしまいました。

ああそうですか。と言えるほど私は心が広くありません。

「私は最初にちゃんとcomún (いつもの)と言いました。それに無駄な時間を費やした。第1こんなミスを従業員がするのは有り得ない」と滅茶苦茶なスペイン語でまくし立てると、こいつは厄介なやつだなと思われたのか、それじゃ彼女の給料から引くと割とあっさり引き下がりました。でも後味が良くないし、狭い街の事。後々尾を引くのも嫌だったので10リットル分だけ払いました。

帰ってから大急ぎでディーゼルにガソリンを間違えて入れた場合どんな問題が有るのかネットで検索してみると、驚いたことに多くの記事がありました。

私の場合、気がついてエンジンをかける前に全て抜き取ったので取り敢えず特に大きな問題はない様でした。

たまたま日本人の男性あったので尋ねてみると、「ああ、日本でも良くあるよ」と言われ、ひどく驚きました。

 

日本でもアルゼンチンでもずっと車にはお世話になって来ましたが、こんな問題があるなんて夢にも思わなかったです。いい勉強になりました。

 

今回の教訓。

めんどくさくても煩がられても、きちんと言葉は確認する。スペイン語の勉強をする。

あのガソリンスタンドにはもう決して行かない。だって混合燃料を平気でタンクに戻し、それを客に給油しているのだから。

 

パタゴニアは冬に逆戻りしたように寒い毎日です。日本と季節が逆なので、寒い日本から暖かいパタゴニアの便りを楽しみにしていてくださる方もいるのに、セーターを着て薪ストーブを焚く日が続いています。

 

 

 

 


春の雪に思う事

パタゴニアは春

けれども10月の末に雪が降りました。雪の天気予報に「まさか~。ここの天気予報は何でもありだなあ。」と友人と呆れていたのですが、午後からみぞれが降り、それが瞬く間に雪に変わりました。窓から外を見ていると、絶え間ない雪が辺りをあっという間に白く変えていきました。

水分を含んだ重たい雪でした。

チューリップの花も移植したキャベツの苗も雪の下に埋もれてしまっていました。

りんごの花もまさか雪の洗礼を受けるなんて想像もしていなかったでしょう。

窯場の横の大きなオルモの木の枝が雪の重みに耐えかねて折れ、犬たちの散歩道を塞いでいました。家や窯場の屋根の上に落ちないでくれた事を感謝しました。

 

今年は暖冬だったのですが、春になってからは雨や曇りの天気が続き、気温も上がりません。

天気を見ながら、不足してきた薪の準備に追われています。

 

世界中が大きく揺れています。

目に見えるところでも、見えないところでも、争いは続き、多くのものが破壊され、人々が嘆き悲しみ、それ以上に人間以外の生き物が苦しんでいます。

 

そんな中で、異常な物価上昇に戸惑いながらも、私には家があり、心安らぐ農場があり、私を頼ってくれる犬達がいて、助けてくれる友人もいます。

どうしたらいいのか途方にくれる前に、何とかなるさと笑える気持ちのゆとりもあります。

 

いつでもどんな時でも

ありがとう

幸せだね

そう笑って言える自分でありたいと願っています。

 

 

ボルソンの花見

10月15日日曜日 エルボルソンの日本人会主催で花見をしました。

日本人会といっても日本パスポートを持っている日本人は私を含めて5人で、しかも会に参加するのは私とお父さんがカナダ人のハーフの男性2人だけです。

日本人の血が入っている会員は子供も含め60人近くいますが、日本語は話せず日本へ行った人もほとんどいません。日本好きなアルゼンチン人もいます。

今年は春が遅くまだ満開とは行きませんでしたが、翌週の日曜日は大統領選があるので決行しました。

今年で4回目の花見。私は去年からの参加となります。

去年は習字体験会をしましたが、今年は先生となってくれるガビーさんが不参加で中止にしました。(私はもう実行する気力や元気がないので)

回を重ねるごとに会員以外の多くの人が参加してくれるようになりました。

お寿司やお饅頭などの日本食は会員が作り無料試食会としています。私はお寿司を作れるだけの経済力はないので味噌クッキーとしょう油味揚げパンを作っていきました。

私の味噌クッキー。事あるごとに作るのですが、珍しい事もあって何処でも人気があります。ただこれが日本に普通にあるお菓子とは言い難いですが。

町には大きな八重桜が二本あります。40年以上前、アルゼンチン人と結婚した日本人移住者の女性が移植した木だそうです。(今はもうここには住んでおられません)

満開の時期は多くの人が写真を撮っています。どうやって増やすんだ?と聞かれますが、私には分かりません。接ぎ木で増やせるのかもしれませんが、未だに増えずにここにしかないことを考えると、難しいのかもしれません。これだけ大きく育っていると流石に盗んでいく人もいないです。

移植した当初、小さな苗木をこっそりと持って行ってしまう人がいなかったのは、アルゼンチンでは珍しい事なので、のどかな田舎町だったんだろうなと思いを馳せます。

桜は花の下で多くの人が楽しそうに過ごしてくれる事が好きで喜んでいると、どこかで読んだ気がします。

南半球の小さな町で、日本の桜見を紹介している事が嬉しく、私にとっても楽しい春の行事です。

 

今年の農場は木の花がとても見事に咲いています。生きていることは美しいな、楽しいなと花を見ながら感動しています。

オステオパシー

前回 膝の水が奇跡的?に治ったお知らせをしました

私は信じられない馬鹿な間違いをしました

日本の友人が施術しているのは オステオパシーです

 

私は心が硬いのか 何をしても劇的に回復することはありませんでした

でも初めて彼女のオステオパシー施術を受けた時 腰痛がけろりと治って驚きと感謝でいっぱいになりました

今回の膝の水も 相談した翌日 突然消えて 驚きを通り越した驚きがありました

彼女は何もして無いですよと言ってくれましたが 目に見えないエネルギーが届いたのだと信じています

それなのに…全然別の施術法を書いてしまって 恥ずかしいやら申し訳ないやら

相性があるので強くは言えませんが オステオパシー

まだ経験していない方は是非一度試してみてください

別に宣伝でも何でもないんですが 私の心強い味方ですから

 

 

心と体と脳みその思い込み

10月になって晴れの日が続いています。日中は太陽の下では温かく春を感じますが、早朝はいつも真っ白に霜が降り、木陰では肌寒さを感じます。

ボルソンの日本人会で恒例の花見を計画していますが、町の八重桜はまだ固い蕾で日程が決まらず、今年は遅い春を感じています。

アンデスの山もここ数年は雪が少なく夏の水不足を招いていましたが、今年は山頂が白く輝きとてもホッとしています。

 

けれども人間はまだ春を感じていませんが、植物達はちゃんと感じているようで、町の梅やオルモの花は満開を過ぎ、広場ではタンポポが可愛い花を咲かせています。

寒い我が家でも、ボケの花で木が紅色に染まり、水仙も咲いています。

タンポポの花はまだですが、ぐんぐん伸びた葉を大きく広げています。

 

秋の終わり、無理をしたのか右腕に激痛が走るようになり、伸ばせなくなりました。

それで冬の間、薪仕事は一切せずに休養しました。激痛は収まったものの、前へ伸ばすと痛く、犬達との松ぼっくり遊びでは左手でしか松ぼっくりを投げられず、掃除も雑巾掛けは左手を使っていました。

さらに1ヶ月半前、突然左足の膝に水が溜まってぽっこり膨れてしまいました。

この時はあまりに突然で「何?何これ?」と一瞬パニックになりました。ネットで調べると、膝に水が溜まるのはあまり珍しいことではないようで、いろいろな解消法がありました。

自分に一番向いていると思われるストレッチを選び毎朝youtubeを見ながら実行しました。

ところが1ヶ月しても痛みはないものの腫れが全く引かず、焦りが出て来ました。子供の握り拳くらいの結構大きな水こぶが膝に付いているのです。気分は良くありませんし、見ていてあまり気持ちの良いものでもありません。でも病院で注射で抜く対処療法をする気もさらさらありませんでした。それなら焦らず続けるしかないと、水が引いた膝をイメージしてストレッチを続けました。

そんな時、ホメオパシー施術https://www.instagram.com/penguin_shisei/mしている日本の友人にメールで相談しました。でも直接施術してもらうわけにもいかず、彼女も炎症を起こしているから無理しないようにという、アドバイスしか出来ませんでした。ところが、相談した翌日の午後、なんとなく膝に違和感を感じたのでズボンの裾をめくってみると、「ええ~!」

膝の水膨れが消えていたのです。嘘のような本当の話。

しかももう鋸での薪切りは出来ないと思っていた右腕の痛み。薪不足に困り、思い切ってやってみると、今まで通り出来たのです。

 

病は気からという言葉。重病の人はふざけるな!と感じると思います。私だって持病の進行は進んでいます。

でも今回の経験で、気持ちは重要だと感じました。そしてその為には周りの環境や人の温かさが大切だと思いました。

思い出してみれば、息がつまるような人と過ごしていた時は、顔中に水膨れが出来それがかさぶたになってひどい状態になりました。耳が聞こえにくくなった事もあります。でも 自分は能力がないから何も出来ないと生活を変える勇気がありませんでした。そして原因は細菌や不摂生だと思いこんでいました。

でも今は別の考えです。

脳みそは知識や経験から一般常識で判断するけれど、体は正直で自分のための判断をしてくれるんだと。体が変調をきたす時は、素直に体の警告を聞くべきなんです。

変化が怖くて本当の気持ちを押し殺したり否定したりしても、決して解決しないのです。

今回の不調も 自分では気づかない心の乱れがあったのだと思います。

自分一人で抱え込む必要は無かったのです。

 

死は今の私の身近にいます。私もいつか死ぬんだとはっきり感じます。でもそれで不安になったり恐怖を感じたり、自暴自棄になったりしません。

絶対終わりが来るこの世界での私。それなら今ここに居る私と、私を守ってくれるものたち、大好きな友人たちを大切にして、温かい思いを残していきたいと強く感じています。