時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

心と体と脳みその思い込み

10月になって晴れの日が続いています。日中は太陽の下では温かく春を感じますが、早朝はいつも真っ白に霜が降り、木陰では肌寒さを感じます。

ボルソンの日本人会で恒例の花見を計画していますが、町の八重桜はまだ固い蕾で日程が決まらず、今年は遅い春を感じています。

アンデスの山もここ数年は雪が少なく夏の水不足を招いていましたが、今年は山頂が白く輝きとてもホッとしています。

 

けれども人間はまだ春を感じていませんが、植物達はちゃんと感じているようで、町の梅やオルモの花は満開を過ぎ、広場ではタンポポが可愛い花を咲かせています。

寒い我が家でも、ボケの花で木が紅色に染まり、水仙も咲いています。

タンポポの花はまだですが、ぐんぐん伸びた葉を大きく広げています。

 

秋の終わり、無理をしたのか右腕に激痛が走るようになり、伸ばせなくなりました。

それで冬の間、薪仕事は一切せずに休養しました。激痛は収まったものの、前へ伸ばすと痛く、犬達との松ぼっくり遊びでは左手でしか松ぼっくりを投げられず、掃除も雑巾掛けは左手を使っていました。

さらに1ヶ月半前、突然左足の膝に水が溜まってぽっこり膨れてしまいました。

この時はあまりに突然で「何?何これ?」と一瞬パニックになりました。ネットで調べると、膝に水が溜まるのはあまり珍しいことではないようで、いろいろな解消法がありました。

自分に一番向いていると思われるストレッチを選び毎朝youtubeを見ながら実行しました。

ところが1ヶ月しても痛みはないものの腫れが全く引かず、焦りが出て来ました。子供の握り拳くらいの結構大きな水こぶが膝に付いているのです。気分は良くありませんし、見ていてあまり気持ちの良いものでもありません。でも病院で注射で抜く対処療法をする気もさらさらありませんでした。それなら焦らず続けるしかないと、水が引いた膝をイメージしてストレッチを続けました。

そんな時、ホメオパシー施術https://www.instagram.com/penguin_shisei/mしている日本の友人にメールで相談しました。でも直接施術してもらうわけにもいかず、彼女も炎症を起こしているから無理しないようにという、アドバイスしか出来ませんでした。ところが、相談した翌日の午後、なんとなく膝に違和感を感じたのでズボンの裾をめくってみると、「ええ~!」

膝の水膨れが消えていたのです。嘘のような本当の話。

しかももう鋸での薪切りは出来ないと思っていた右腕の痛み。薪不足に困り、思い切ってやってみると、今まで通り出来たのです。

 

病は気からという言葉。重病の人はふざけるな!と感じると思います。私だって持病の進行は進んでいます。

でも今回の経験で、気持ちは重要だと感じました。そしてその為には周りの環境や人の温かさが大切だと思いました。

思い出してみれば、息がつまるような人と過ごしていた時は、顔中に水膨れが出来それがかさぶたになってひどい状態になりました。耳が聞こえにくくなった事もあります。でも 自分は能力がないから何も出来ないと生活を変える勇気がありませんでした。そして原因は細菌や不摂生だと思いこんでいました。

でも今は別の考えです。

脳みそは知識や経験から一般常識で判断するけれど、体は正直で自分のための判断をしてくれるんだと。体が変調をきたす時は、素直に体の警告を聞くべきなんです。

変化が怖くて本当の気持ちを押し殺したり否定したりしても、決して解決しないのです。

今回の不調も 自分では気づかない心の乱れがあったのだと思います。

自分一人で抱え込む必要は無かったのです。

 

死は今の私の身近にいます。私もいつか死ぬんだとはっきり感じます。でもそれで不安になったり恐怖を感じたり、自暴自棄になったりしません。

絶対終わりが来るこの世界での私。それなら今ここに居る私と、私を守ってくれるものたち、大好きな友人たちを大切にして、温かい思いを残していきたいと強く感じています。

 

はーるよ来い。はーやく来い。

9月21日、アルゼンチンは暦の上では春になります。

本来なら畑も薪準備も始まっている頃ですが、今年は雨雨雨…

薪小屋の薪も非常に心細くなってきています。

私自身が数年前に比べても、去年に比べても、出来ることがぐっと少なくなっているので、ボランティアは貴重な助っ人なのですが今年はまだあまり問い合わせがありません。

何時迄もボランティアに頼っているんじゃ無く、もっと真剣にこの先数年のことを考え行動して行かなきゃと心を引き締めています。

 

2年前に新しい友人から鉢植えをもらいました。我が家は日があまり差し込まず暗く寒いので、観葉植物を育てる場所がなく、最初はちょっと戸惑いました。「この子は強いから大丈夫」と言われましたが、家で一番日が当たる台所の窓辺に置きました。

2年間、大きくなりもせず、そうかと言って元気が無くなることもなく居続けてくれました。

3ヶ月くらい前に、ふっと鉢を変えてあげようかなと思い立ち、真冬でしたが一回り大きなプラスチックの容器に移し替えました。すると、1週間もしないうちに新芽が3個出てきて、あれよあれよという間に大きくなっていったのです。

命はなんて正直なんだろうと、感動しました。そして今までこの子の声を聞くことをしなかった自分を反省しました。

家の中では置く場所がなく、これ以上大きな容器に移し替えてあげることは無理で申し訳ない思いです。

 

時々、本当に時々、先の事を考えて落ち込みそうになることがあります。もともと私は根暗で悲観論者なのですが、パタゴニアで暮らしている内に自分でも驚くくらい(大丈夫、何とかなるよ)と、気持ちを切り替える事が出来る様になりました。

私が引き受けた4匹の犬達と30年一緒に成長してきた農場の自然達が物凄い力になってくれていると実感しています。

だから大切に大切に思い続けて行きたいです。

 

これから少しづつ暖かくなっていきます。植物も成長を始めます。芽を出した鉢植えさん。名前も知らなくてごめんね。でも一緒に生きていこうね。ありがとう。

 

 

 

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免許更新 続編

前回、免許更新が無事終わったとご報告しました。実はあの時点ではまだ新免許は手にしておらず、翌日受け取りに行くつもりで気分だけはルンルンしていました。

ところがアルゼンチンは、エルボルソンは、そんなに甘くなかったです。

翌日更新センターに新免許を受け取りに行くと、ペンと5枚の印刷物を手渡されました。

⁇ ⁇ ⁇

 

なんと、筆記試験だったのです。

そんなの聞いてない!私の語学力でスペイン語の試験が出来るはずない!しかも交通ルールなど日常会話で使わない言葉を私が分かるわけない!と青くなりました。でも受けるしかありません。思いっきり想像力を働かせて悪戦苦闘する事40分。

これに受からなければ免許がもらえずこれからの生活に支障が出ます。最後は係員に「交通ルールは知っているけど、単語の意味がわからない。助けて。」と泣きつきやり終えました。

まあ泣きついて助けてくれるところは非常にアルゼンチンらしくて嬉しかったですが。

当然間違いもありましたが、80%以上の正解率で合格できました。

ああ、良かった!

私の会話力を知っている友人は「あんな引っ掛けが多い問題をよく受かったね。凄いなあ。」と祝福してくれました。

難関突破してやっと免許を手にできるかと思いきや別の紙を渡され、役場で更新料払ってきてと言われました。役場は別の場所にあり、時間的にももう手続きできず、結局翌日改めて行く事になりました。

翌日手続きしたら、また別の場所の窓口に行く様言われ、そこで終わりかと思いきや…

「あなたは税金を納めていない。ずいぶん溜まっているから払ってください。」と免許とは関係ない事を言われてしまったのです。

今の時代、DNI(国民番号)をPCに打ち込めば、全ての個人情報が出てくる様です。(当たり前か…)

5年分20000ペソ。日本円にすると10000円にも満たないのですが、私の収入では物凄く苦しい金額でした。

泣く泣く支払い領収書をもらうと、「DNIをコピーして明日以降、新免許をセンターに取りに行って」と言われました。

コピーだって、店に行って個人でしなければいけないのです。ああ、これがアルゼンチンなんだとしみじみ感じました。

 

私の様に田舎に住んでいる場合、税金をわざわざ自分で役場に行って払う人はおらず、私もまさか未納税金があるとは知りませんでした。

言われないから知らなかったが通る世界だったのですが、急ピッチで締め付けが厳しくなって来ています。

それでもお金無くて払えないとか、完全無視を決めつけている人もまだ多くいますが、今回の私の場合、無視したら免許が更新出来ない事態になります。

 

次の更新は5年後。その時は65歳以上になり、筆記試験かつ実技試験があります。税金もたまっていく事でしょう。

 

去年、今後10年で終活を終え全てを整理して行こうと思っていました。でも昨日、次の更新までの5年が勝負だと感じました。

5年後にスムーズに更新できる確信は全くありません。その夜、経済的な事、体力的な事など先の事をを考えて思いっきり落ち込み、不安が広がっていきました。

でも今は「どうにかなるさ。大丈夫。」と思っています。

だって約5年前、毎日が失望、情け無さ、悔しさで一杯だったのに、変化が怖く先の不安しかなかったけど、実はその変化のお陰で自分に自信がつき、出会いがあり、思いもしなかった新しい世界で私らしく面白く生きられるようになったのを思い出したからです。

 

出来なくなったことが多くて戸惑いもあるけれど、失ったものにしがみつくんじゃ無くて、工夫して別の方法を見つけていけば良いだけのことです。

5年後、私の前にどんな新しい世界が開けているのか、楽しみに笑って、大切に毎日を過ごしていこうと思います。

 

 

 

 

免許更新しました

地球沸騰化

パタゴニアも暖冬となっています。例年なら8月はまだ、一日中薪ストーブを焚いていないと、家の中で

もオーバーを着て震えていなければいけませんが、今年は朝ストーブを4、5時間焚くだけで、次の日まで薪を足す事はありません。

23日は畑の畝の準備をしました。ビニールトンネルの中ですが苗用に、キャベツやレタスの種を播きました。今日はそら豆を直播きするつもりです。去年より1ヶ月以上早いです。

でも思い返してみると、移住当初、30年近く前は8月20日が畑初めの日だったので、驚く事は無いのかもしれません。

 

さて愛車のエディちゃんが20歳を迎え税金免除になった事で住所変更をし、書類上エルボルソンの住民に戻りました。(今までは友人の協力で車税が1/10の町の仮住民でした。)

そして5年ぶりの免許更新をエルボルソンでしました。

今までは1時間以上かけて住民票のある街に行き更新していました。予め免許用写真を撮って用意し、朝早く家を出て役場、病院、免許更新センターを周り1日掛りでした。全部の手続きが終わると、10日後くらいにまた新免許を受け取りに行っていました。

若かったのでそれもあまり苦にはなりませんでしたが、もう長時間運転するのも家を開けるもの億劫になってきたので、良いタイミングだったと思います。

今までなら自分で写真を用意して、病院へ行って健康問診を受け、役場で手続きして、と、何箇所も周らなければいけませんでしたが、今では街の中心地に免許更新センターが出来、1箇所で全て済む様になっていました。

ただ1日目は手続きと銀行へ行っての料金支払い

2日目は写真撮影

3日目は健康問診

それが全て終わると3日後に新免許発行となります。

結局一度で終わらず、計4回足を運ばなければなりませんでした。

でも目出度く問題なく更新出来ました。

健康問診の日、朝薄暗いうちから家を出て行ったのですが、人が待っていて40分ほど待たされました。部屋の外で待つのですが、屋内といっても広いスペースで火の気もなくガタガタ震えるほどではありませんでしたが寒かったです。手袋をしていなかった私が冷えた手を擦っていると、隣にいた手袋をしていた年配の女性が

「冷たいの?」と話しかけて「私の手は年中ほかほかなの」と言って手を握ってくれたのです。

本当に驚くほど暖かな手でした。

たったそれだけの事。でもアルゼンチンらしい良さだな、ととても嬉しかったです。

 

アルゼンチンは10月に大統領選挙があります。

先日予備選挙があり、誰も予想しなかったかなり過激な党が首位に立ちました。 どう変わるのか予想もつきませんが、どん底のアルゼンチン経済。我慢限界の人達が、爆発を起こした様な気がします。ただ治安悪化が加速しそうで、それが怖いです。

 

珍しく早朝一瞬粉雪が舞いました。

小さな自然の移り変わりに目を向けて、心豊かに過ごしていきたいです。

 

 

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私らしさ

あれよあれよと言う間に、8月も1週間以上過ぎました。

例年ならまだまだ寒く雪が降る事もあるのですが、今年は気持ち悪いくらいの暖かさです。朝、豆腐作りの為薪ストーブをつけますが、それが終わったら、薪を足さずにそのまま火を消してしまう日が続いています。今までと違い、レンガの大型ストーブを作ったので、暖気が室内に残っていることもあるかもしれませんが、それにしてもこの時期にストーブを焚き続けないなんて、考えられないことです。(ちなみに今の室温は17度です。)

雨が多いのは冬のパタゴニアらしく良いのですが、山でも雪ではなくみぞれが降っている様で、晴れ間に見える山頂は雪が少なく、夏の水不足が今から思いやられます。

北半球の猛暑のニュースを見ると、それがこのままこちらの夏に当てはまる様な気がして恐ろしいです。

でも悪い想像ばかりして不安がるのも、今を大切にしていないことになるので、明るい話題を探して笑って過ごさなきゃあ勿体無いですよね。

 

私はがさつで女の子らしさのない子供でした。人と接することも苦手でした。体育や水泳の時の着替えも早く、何時も一番に更衣室を出て外にいました。他の子の様におしゃべりしながら、ゆっくり丁寧に身だしなみを整える事が出来ませんでした。

ですから良く、Tシャツを裏返しに着ていました。似合う似合わないよりも、シャンプーも梳かすのも楽な短い髪が好きでした。

同級生の様に「重~い」「熱いわ!」と可愛らしく言うことも無く、力持ちで頑丈なことが唯一の長所でした。可愛い事は自分に一番似合わない事だと自覚していました。

それはずっと変わらなかった気がします。

でもアルゼンチンの田舎暮らしでは、周りが私以上にがさつな所があって、日本にいた頃のような窮屈さを感じずに済みました。

 

先日町に行って靴を脱ぐ事がありました。アルゼンチンでは珍しい事ですが、ヨガなどで使う教室ではたまにあります。その時、自分の脱いだ靴を見てビックリしました。左右別々の靴を履いていたのです。どうしてこんな事が起こるのか?と自分でも呆れました。この靴で半日街を歩き回っていたのです。呆れたものです。

そしてまた別の日、友人宅の姿見の鏡に映った自分を見て吹き出しました。靴下が左右違うのです。靴履き違いした時に反省したばかりだったのに。

 

面倒くさがりで、がさつで、何事もいい加減な計画性の無い私を嫌った人もいて、それをいつも気に病んで来たけれど、迷惑かけて無ければ良いんだと思えるようになりました。

なるべく丁寧に慎重に過ごしていくつもりだけど、失敗したら「あははは…。」と笑い飛ばせるくらいに心を頑丈にしたいと思います。

 

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おにぎり考

私は愛知県で育ちました。

母は神戸の出身です。

 

子供の頃から遠足や運動会など、お昼は必ず母がおにぎりを握ってくれました。中身は何時も梅干しで、高校生になって自分でお弁当を作る様になってから、おにぎりに梅干し以外の物を入れるようになりました。でも、必ず塩をつけて握りました。と言うか、おにぎりを塩で握るのは当たり前の事でした。

昨年、ボランティアのブエノスアイレスの日系三世の女性が、休みの日山へ行くと言うのでお弁当を作ってあげました。簡単なおかずとおにぎり。

山から戻った彼女が

「お弁当ありがとう。美味しかった。でも時子さんのおにぎり、塩味がしたからびっくりしちゃった。」と言ったのです。

「???」

おにぎりって塩で握る物でしょ?何がびっくりしたんだろう?

話を聞いてみると、沖縄がルーツの彼女たちは、おにぎりは塩で握らないのです。

半世紀以上生きてきて、初めて塩なしおにぎりの存在を知った私は衝撃を受けました。

もしかしたら他県でも塩で握らないおにぎりがあるかもしれません。

当たり前と思ってきたことがいかに当たり前でないかを実感しました。

 

そして今日、生粋のアルゼンチン人の生徒さんがおにぎりをくれました。

アニメではおにぎりは寿司より良く見ます。

ネットでお米の炊き方から勉強して、おにぎりの型を使って作ってくれました。最近ではネット通販や、少し大きな街では箸と並んでおにぎりの型を売っています。

一口食べてアルゼンチン風おにぎりだと思いました。

おにぎりの中身は人参を海苔で煮込んだ人参サーモンと呼ばれるビーガン料理に、クリームチーズ。ご飯にはかすかに酢を混ぜていました。

米の炊き方は完璧で、人参サーモンとクリームチーズの組み合わせも最高でした。ほんのり酢味も新鮮でした。

凄い、美味しい!と感動しました。

 

ネットでこれだけ世界中の情報が溢れているなかでも、田舎では、ともすれば私が日本の代表みたいに思われてしまう時があるけれど、私の知っている日本が日本の全てじゃないと気づきました。そもそも人生の半分はここアルゼンチンで暮らしているのですから、私が現代日本を語ることの方が難しいかもしれません。

それにおにぎりは、日本食は、こうじゃなきゃいけない!という事は何にもなくて、その土地でそこに住む人たちの好みに合った物を楽しんで工夫していけば良いんだと感じました。

 

もう7月も終わります。

猛暑の日本。どうぞみなさまお体に気をつけてお過ごし下さい。

 

 

 

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今 思う事



日本は猛暑の様ですね

youtubeを見ていたら、「命の危険を感じる暑さ」とニュースで言っていて驚きました。

私が日本に住んでいた頃も暑い日はありましたが、命の危険を感じたことはありませんでした。

人間がこんなに暑いのだから、毛皮を着た動物達、特に自由を束縛されている動物達はどんなに苦しいだろうと心が痛みます。

こちらも温暖化の影響か、7月は一番気温が下がり雨よりも雪になる事が多いのですが、今年は曇りのどんよりとした日が続き、例年のような寒波が殆どありません。

住み易いといえば住み易いのですが、冬は寒い!水道が凍る!雪で町に行けない!そんなパタゴニアらしい冬の方が正しい気がします。

 

私の住む町は、環境問題に関心のある人が多く、関心あるだけではなく、それを実践しているので感心します。勿論、ゴミのポイ捨て、無差別な木の伐採、使い捨て消費で増える石油製品ゴミなど、全く環境問題に無関心な人も多くいます。

でも関心を持った人は、どうせ変わらないなら自分も便利に勝手にする、という方向には流れないから凄いなと思っています。

人口約30万人のこの町には自然食を扱う専門店、卸の店が15件以上あります。

スーパーにも自然食コーナーはあります。

少し高いですが、地元の人が作った無添加の自然食品や石鹸、シャンプー、リンス、化粧品などは人気があります。台所洗剤、洗濯洗剤にも気を遣っています。野菜や果物、その加工品についても同じことが言えます。

土地がある人は自家菜園を作るのが当たり前です。庭をコンクリートで固め、テラスを作る人は殆どいません。ゴミ問題、食品添加物、環境問題を当たり前に普通に会話します。ですからシンプルに生活している人が、カッコつけているとかケチだとか貧しいと後ろ指さされる事はありません。

 

町に面白い収集箱があります。

ペットボトルにビニールゴミをぎゅうぎゅうに詰めた物を回収しているのです。これはプラスチックレンガと呼ばれ、家の土台などにレンガの代わりに使うのです。

かなりの強度があります。

最初これを使って家つくりをしている人を見た時、ゴミの上に住むなんて心と体に悪そう。返って土壌汚染になりそうと思いました。

でも今は、人間が出したゴミをこうして人間が利用して行くべきなんだと考えるようになりました。

海洋汚染の大きな原因のプラスチックゴミ。野生動物が苦しんで死んでいます。燃やしても有害物質が出るし、再利用も永久に出来るわけではありません。

一番良いのは使わない事ですが、絶対に実践できません。それならこうして利用していけば良いと思うのです。長い目で見たら何の解決にもなっていませんが、少しでも少しでも出来ることをやる気のある人が実行してくだけしかないんだと思います。

とっても悪い考えですが、私は地球の命の残りは少ない気がしています。自分の持っている十数年の時間でさえ、どんどん悪化していくんだろうな、と落ち込みます。

でもだからって諦める気もありません。土の上で生きる喜び。自然界の命達と繋がって成長していく感動。今を輝かせる生き方。

そういう事を感謝して大切にしていきます。そうしたら、ここで私が小さく守ってきたものを引き継いで行ってくれる人に出会える気がします。

 

久しぶりに晴れました。雪を被ったアンデス山脈が輝いています。