時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

雨の日にお金を見ながら考える事

どこもかしこもカチカチに凍って、厳しい冬到来と思っていたのが、7月に入ってからはマイナスに冷える日がなく、日中も8度近くまで気温が上がる日もある暖冬になっています。

七夕前後は雨が続き、雨漏りが酷く、置いたバケツにポタポタと溜まる水音を楽しみました。この音を聞けるのは今の日本では珍しいのではないでしょうか?

春になったら本格的に屋根を直したいのですが、全てを張り替えるのは金銭的に無理で、部分的に補強し雨漏りが収まれば上等です。

気温の急激な変化は、世界中でごく当たり前のようになってしまっているようで、気候の話題はあまりパタゴニア感が出なくなってしまいました。

それなら夏涼しく冬暖かい、快適なパタゴニアを自慢できるようになれば最高なんですが。

 

もともと外出が好きではありませんでしたが、こんな世の中になって、益々出不精になりました。でも週2回、豆腐や味噌の卸と日本語と習字教室の為街に行きます。その時、電気や車の保険の支払い、買い物、友人の訪問など必要な事は全てまとめて済ますようにしています。時間に追われて慌ただしいですが、人と話したり、街の動きを知ったりと適度な刺激になっています。

こんな風に自分に合ったペースで暮らせることをいつも有難いと感謝しています。

 

今回はアルゼンチン紙幣について。

移住当初は1ドル1ペソで固定されており、最高額紙幣が100ペソでした。ですから100ペソ紙幣なんて定期収入のなかった私はお目にかかることがありませんでした。

ところが2001年の経済危機(はっきり言っていつも経済危機なんですが)から、ペソの価値がどんどん下がっていき、今では1ドル100~170ペソ前後の変動相場制となっています。

単純に言ってしまうとペソの価値が100分の1になってしまったのです。

物価はどんどん上がるけど、収入が同じように上がるわけではなく、益々貧富の差が広がっています。この国では徹底的に低収入、はっきり言うと無収入の貧乏になると、政府から援助があります。真面目に低賃金で働くより援助で生活する方が楽と言う結果にもなります。

 

経済の仕組みは全然分かりません。

でもお金は大好きです。いつも助けてもらって感謝しています。大好きだから大切に思っていきたいし、いつも温かい気持ちで接し、お金が一番輝く事に使っていきたいです。お金を稼ぐ事や貯める事、増やす事に無い頭を使ったり、それを目的にして神経を尖らせる事はしたくないです。

 

アルゼンチンの紙幣は以前はアルゼンチンの歴史的な人物だけでしたが、新紙幣には動物が描かれるようになりました。

1000ペソはハチドリ、500ペソは南米ピューマ、200ペソはクジラなどなど。もちろん人物もあります。しかも紙幣の500、200、100、50、10ペソは一種類だけでなく2から3種類のデザインがあります。

私が気に入っているのは、20ペソのグアナコと100ペソのシカです。紙幣の色も好きです。

この国では紙幣に落書きをする人が多いし、びっくりするくらいボロボロでセロテープで補強しているものもあります。そう言う紙幣が回ってくると、可哀想になります。動物たちが悲しんでいるように思えます。

 

世の中はどんどん変化しています。カードの時代になっています。

考え方、価値観も変わっています。

特にコロナで大きく変わったと思います。

思う事はたくさんあります。私の価値観と大きく違い、最近では気持ちが苦しくなることも多いです。

でもいろんな意見、考え方を認めていかなければと思います。そしてその中で、自分の信じる方向へぶれずに進んでいこうと思います。

 

今の私に出来ることってなんだろう?といつも考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私のお気に入り

 

命がいっぱい

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取り残した林檎が木の上で冬を迎えています


パタゴニアは夜の長い冬を迎えています。

夕方7時には真っ暗になり、朝は9時過ぎにやっと薄明るくなります。

暖冬か?と思ったのも束の間、先週から寒波が続いています。

最低温度はいつもマイナス5度前後でそれ程でもないのですが、日中の気温が上がらず5度まで上がれば上等です。

水が凍らない様、家の水道をチョロチョロ出していたのですが、凍って出なくなってしまいました。天気予報を見ると今月は寒波が続き、蛇口から水の出ない生活が暫くは続きそうです。

でもいつも外の600リットルに水を貯めているので水無し生活というわけではありません。

また電動ポンプが凍らない様、友人が使いやすく設置してくれたおかげで停電にならない限り、タンクにたっぷり水を貯めておけます。

1日に数回、ポリタンクに水を入れ家に運びながら、平衡感覚や歩くリハビリになる、有難いと思っています。

 

私は子供の頃から異常な怖がりでした。子供の好きなお化けや世界の七不思議なんて話、うっかり聞いてしまったものなら、その夜は怖くて怖くて眠れませんでした。それは大人になってもあまり変わりませんでした。

 

ある夜家の中で寝ていた悟りと大将が外へ出たいと鳴きました。私も寝ていたのですが、トイレかもしれないと思い起きてドアを開けました。そして外を見て一瞬驚いて体が凍りつきました。

玄関の5メートルくらい先に、背の高い痩せた男の人が立っていたのです。夜の12:30。暗くて顔は見えずシルエットだけでした。こんな時間に私を訪れる人なんていません。

「quien? 誰?」

動揺して目をそらした次の瞬間、その影はもう消えていました。

体から力が抜けました。

それは月明かりと木々が見せた幻覚だったのでしょうか。

でもあまりにも鮮明で、犬達もいつもの「外に出せ」でも「誰か来た」でもなく、「知ってる誰かが来たよ、外に出たい」という感じの鳴き方でした。

 

取り敢えずいつもはしない鍵をして寝ましたが、怖いとは思いませんでした。

 

時々「そんなところに1人でいて怖くないの?寂しくないの。」と聞かれます。

私は「全然」と正直に答えます。

 

もしここが旅先だったら、物凄く怖くて寂しいです。でもここは私と25年以上成長してきた、一緒に生きてきた場所なのです。

安心できる優しい命に囲まれた場所なのです。

今は亡き犬や猫たち、短期でも一緒に過ごしたボランティアや友人の想い出がいっぱい詰まった場所なのです。

何が怖いのでしょう?何が寂しいのでしょう?

 

今はコロナで自由に旅行できませんが、世界には美しい場や歴史の重みのある素晴らしい場所が多くあります。

でも私は出かけたいと思いません。

私はここで今まで通り、私を認め見守ってくれる自然達に囲まれ、命を感じていきたいです。

そういう場所を見つける事ができて幸せだと感謝しています。

 

 

 

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取り残した林檎が木の上で冬を迎えています

 

大好きオーラ

秋口、急に気温が下がり寒い日が多く、どんな厳しい冬が来るのかと思っていましたが、6月になってからは、雨の多い割と暖かい日が続いています。

暖かいと言ってもマイナスに下がらないだけで、日中でも15度を超える日はあまりありません。

雨で外仕事をする事もなく、薪ストーブの燃えた家の中で過ごすので暖かいと感じているだけかもしれませんが。

今年は友人と共同で畑を作り、水やりもたっぷりした甲斐があって、とても多くの収穫がありました。中でもキャベツが50球近く大きく育ち、先日友人と半日かけてザワークラウトを作りました。

少しづつ食べ始めていますが、生姜やこしょう、ハーブ類を入れたいろんな味を作ったので、味比べも楽しいです。

最近はそのザワークラウトと豆腐をフライパンで軽く炒め醤油か味噌で味付けした、私流いい加減料理をよく作ります。最高に美味しいと、1人悦に入っています。1人暮らしの気軽さと嬉しさです。

さて、そんな呑気な生活を楽しんでいますが、最近また楽しみが増えました。1ヶ月くらい前から、可愛い訪問者がやってくる様になったのです。

我が家のワンコたちは基本的に人好きですが、誰か来るととりあえず、わんわんと大騒ぎします。その日も犬たちが吠えるので外へ出てみると、遊びに来た友人の周りを我が家の3匹の黒犬と、1匹のクリーム色の大きなワンコが取り囲んでいました。

「えっ!誰?どこの子?」

その存在があまりにも自然で、我が家のワンコたちも気に留めてもいない様でした。

それからほぼ毎日訪れる様になりました。

近所の人に聞いても知らないと言うし、会った事もない子だったので、どこの子なんだか想像もできません。

朝来て一日中いる事もあれば、昼頃現れ直ぐに消えてしまう事もあります。

帰っていくので捨て犬ではないと思い、おやつもご飯もあげません。我が家のワンコたちのご飯の時間にいる時は、喧嘩されたり、優しい悟りの分を横取りされると困るので、裏の木に繋がせてもらっていますが、びっくりするくらい素直に待っています。

昨日は大雨だったのですが、朝暗いうちにもう居て、軒下で寝ていました。

雨の日は我が家のワンコ達は家の中で過ごしています。一度だけ一緒に家に入りたがりました。

濡れてベタベタで可哀想で思わず入れてあげそうになりましたが、もしここに居ついてしまったら、待っている家族が心配するだろうと思ったのと、唯一の男の子の大将が、怒って唸ったので、慌ててドアを閉めました。

最近では私は勝手に「バターくん」と呼んでいます。

悟りとフィナは仲良く遊んでいますが、大将は「運臭い奴」と思っている様です。相手の体が大きいので喧嘩はしませんが、要注意です。

何がいいのか?何を気に入ってくれたのか分かりませんが、私を見て尻尾を振り、後に付いて回ってくれると、本当に嬉しいです。

この子はきっと私の粗探しする事なんてしないんだろうな。私も、どんな人にでも、この子の様に大好きオーラを発して接して行かなきゃと感じています。

 

もし来なくなったら、この子の家族は安心するだろうけど、私は少し寂しいです。

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バターくん

 

私の道

前回に続いて焼き物のお話。

 

最低でも一年に一回は窯焚きをしていましたが、ここ数回ずっと焼き不足、温度不足でいつも目指している、蒼色が出ませんでした。

釉薬は粘土と灰に温度を下げる融解剤を混ぜて作ります。

時々落ち葉を置いてみたり、鉄粉を振ってみたりします。

前回の焼きで、釉薬をかけた作品はうまく解けず、ぶくが出てしまったので、今回は灰を入れずに農場の粘土にボラックスかフリッタを1:1の割合で混ぜました。

友人の作品は素焼きだけにしてもらい、安定して焼ける窯の一番奥に入れました。

真ん中から手前は私の素焼きか、釉掛け作品にしました。

一応穴窯ですから、火を入れる焚き口の近くは炎が当たり、温度も奥よりもずっと高くなり、歪んだり釉薬が流れて棚板にくっついたりする確率が高くなります。でもその分市販の釉薬にはない、迫力ある自然の色が出ると思うのです。

私は陶芸家でも無く、それで生計を立てているわけではないので、安定した色や形の作品よりも、炎と農場の粘土の生み出す作品を目指しています。

 

この形の窯は初めての人達ばかりで、頼りない私が私の感覚を頼りにリードをとって焼きました。

 

本当は3日くらいかけて、ゆっくり焼くのが良いのでしょうが、そこまでの根性や体力や集中力が無いので、10時間から15時間を目標に焼きます。

 

薪は全部自分で農場の松を切り用意しましたが、窯入れは自分の作品は自分で入れてもらい、焚き口も一緒にああでも無いこうでも無いと考えながら作りました。(小さ窯なので作品を入れる専用口は無く、毎回焚き口をレンガで組み立てています)

窯に入って作品の窯積みをする事や、用意した薪の大きさが揃っている事や、焚き口を組み立てる事や、松だけで焼く事や、全てが初めてのことだった様で、こちらが恥ずかしくなるくらい感動していました。

 

何時もは一番手前に形の崩れ易い作品を置いて、その変化を見て窯留の最終決定をしますが、今回はそんな作品が無く、炎や中の作品の光具合を頼りにしました。

焼き物をしている友人の意見もとても心強かったです。

 

時間的には10時間と予定より短めだったので、もう少し粘っても良かったかなあと不安もありましたが、3日後の窯開けで取り出した作品は、思いとは大きく異なっていました。

粘土が溶けてしまうギリギリの温度でした。

溶けてお互いがくっついてしまった小皿たち。

釉薬が流れすぎて敷台とくっついてしまった器。

歪んだコップ。

焼きしまって膨らんだ動物たち。

 

目を見張る様な鮮やかな蒼色は出ませんでしたが、久し振りの高温焼成となり、嬉しかったです。

中でも一番奥に入れた友人たちの作品が、想像もしていなかった見事な明るい焼締になっていて大満足でした。

 

久し振りにやったー!焼いたなあ!と充実した気持ちになりました。

 

これからは日が短く寒くなるので、みんなで窯焚きをするのは難しくなりますが、春の風の季節の前に、今度はちょっと宣伝して興味のある人なら誰でも参加出来る窯焚きをしようと思います。

 

さてそれまでに、もっと作品を作らなきゃ!

 

前回の窯焚き報告記事は、ひどい誤解があり残念ですが削除させて頂きました。

 

 

 

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作品たち

 

希望に出会う

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幸せの情景

 

突然 冬がやって来ました。

待望のまとまった雨が3日続いた後、抜けるような青空が広がる快晴に変わりましたが、気温はマイナスに下がり、霜で真っ白になる朝がやって来ました。

まだ5月の初めだと油断していたので、この寒波には体も心も驚いています。

畑には取り残したキャベツやふだん草が、木には取りきれなかったりんごがバリバリに凍っています。

夜に凍った大地が日中の太陽で表面だけが溶け、ズルズルヌルヌルのぬかるみになってしまいます。

アンデスの山は見事に紅葉して、雪のベールをまとっています。でも里の黄葉した木々は、どんどん葉を落とし、寂しい風景に変わっていきます。

 

ここ数年私が気になっているのは、以前は当たり前に群れをなして農場にいた野鳥がいなくなってしまった事です。朝ワンコ達のご飯や木に残ったりんごをついばみに来ていた賑やかな小鳥達の姿が消えてしまった事は、寂しさよりも不安を感じます。

ただハチドリはやって来て、バルルルと見事な羽音をさせて飛び回ってくれています。それは嬉しい光景です。

 

今年の冬は暖かいと言う人と、厳しい寒さになると言う人がいて、さて?どんな冬になるのでしょうか?

私はなんとなく、乾いた凍りつくような冬が来るような気がしています。

 

先日エルボルソンの街を歩いていたら、面白い看板をみつけました。

「KIBOU」 希望?

なんと素敵な名前。スピリチュアル的なお店か講習会の宣伝かな?と思ってよく読んでみると、コピーとか印刷関係のお店でした。アルゼンチン人の友人にスペイン語でKIBOUという言葉の意味を聞いたら、それはスペイン語じゃないよとの返事でした。

それじゃやっぱり「希望」だと思いました。

店まで行って話を聞くほどの好奇心や行動力もないので、どんな意図でそう名付けたのか分かりませんが、アルゼンチンのパタゴニアの小さな街でこの言葉に出会った事が嬉しかったです。

 

こんな世界に変わって、大きな抗えない歯車に巻き込まれていくような恐怖を感じていましたが、どんな時にも、どんな状況の中でも希望はあって、それは人が前に進む力になっていくんだと思います。

私は今ここにいる、ここで生きている、そんな奇跡を感謝して楽しんでいこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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パタゴニアの秋の中で

「ああ綺麗だな」

1日に何度も声にでます。

 

パタゴニアは日に日に秋が深まっています。

アンデスの山頂も南極ブナの紅葉が始まりました。里では防風林として至る所に植えられているポプラが、透き通るような明るい黄色に変わりました。

りんご、プラム、さくらんぼの果樹や柳やリラや楓や西洋ニワトコの葉が深い黄色や紅色や鮮やかな赤に変わり、農場を秋色に染め上げています。

そして風があると葉が踊りながら散っていきます。その時、シャラシャラと歌います。一瞬小川が流れる音に聞こえます。

犬達がかくれんぼしていても、積もった落ち葉を踏むカサカサという乾いた音で直ぐに見つけられます。

秋には色と音があるのです。もちろん秋の香りもあります。

 

毎年毎年繰り返される風景ですが、毎年毎年その美しさに新鮮な感動を覚えます。

 

今年はりんごの大豊作でした。引っ越した時農場で、たった一個だけりんごが実りました。それは世界一美味しいりんごでした。そしてその時、いつか食べきれないくらいのりんごをこの農場に実らせたいと思いました。

「芽を出せ、大きくなーれ」と25年間種を蒔き続けました。

今農場には30本以上の実のなるりんごの木があります。不作の年でも必ず何本かの木には実りがありました。

そして今年はすべてのりんごがたわわに実りました。手入れも何もしない殆どが種から育ったりんごです。野生のりんごと言っても間違いではないでしょう。実は小さいですがみんな活き活きしています。友人がジュース用に、保存用に拾いに来てくれました。300kg近くを持って行ってくれましたが、まだまだ木にはりんごが残っています。誰かにお裾分け出来るくらいになりたいと言う長年の夢が叶いました。

 

薪ストーブも毎日つけるようになりました。炎を猫の福や犬の悟り、大将、フィナと静かに見つめる至福の時を過ごしています。

 

世界はコロナだ、ワクチンだと騒がしいです。

日本政府は放射能汚染水(処理水とは思えません)を海に流すと決めたようです。

未だにオリンピックにしがみついています。

 

自然は美しく優しいのです。そして人はその自然の一部でしかないのです。私はそう思います。

いろんな考えがあって、いろんな生き方があって、いろんな価値観があって、人それぞれです。

それをきちんと認めながら、誰もが今を楽しい、幸せだと思える未来を築くにはどうしたら良いんだろう?なんてパタゴニアの片隅で考えています。

 

 

 

 

 

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家の前の姫りんご

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町の楓

 

心配は心の無駄遣い

4月が始まりました。

朝は8時を過ぎても日が登らず、薄暗いです。

ワンコ達の体内時計は夏時間のままらしく、8時前にはご飯を欲しがりますが明るくなる8時半過ぎまで無視しています。

そろそろ朝晩は薪ストーブが恋しい季節になりました。

 

今年はボランティアも去年の3分の一ほどしか受け入れず、日本語教室も休講のままでした。

薪準備は遅れていますが、気分的にはのんびりと過ごせました。

山火事の多い夏でした。

雨が降らず、あちこちで水が枯れ水不足になっています。

それでも果樹が大豊作です。プラムもリンゴも取りきれず、木の下は果実のジュータンが出来、甘い香りを漂わせています。

 

ここに住み始めてからずっと、朝夕犬達と30分かけて農場を回っていました。農場といっても殆どが自然林の残る林で、水路が通り、上り下りの多い土地です。

季節季節の山菜やキノコを探し、薪になりそうな立ち枯れの木を見つけ、果樹の季節には食べながら、あちこちに種を放り投げました。

犬達が後になり先になり、自由に走り回ってついてきました。猫やひよこから育てた鶏が一緒だった時もあります。

それは私にとっては大切な1日の始まりと終わりの習慣でした。

ところがここ数年、最初に夕方の散歩が無くなりました。そして朝の散歩も距離が半分になり、最近では水タンクの確認に家の周りを歩くだけになってしまいました。

理由はいろいろありますが、一番大きいのはやはり体調の問題です。転んで怪我をすることだけは絶対に避けたいので、坂の多い林の獣道を歩くのが困難になってきたのです。

次は隣人が増え、犬達がお隣に入ってしまう心配です。鶏や羊を飼っている人が多く、それを襲う犬や狐は簡単に撃たれたり、罠にかかったり、毒エサを食べさせられたりします。

 

農場を散歩を兼ねて見回る事をしなくなるなんて想像もしませんでした。何があるかわからないアルゼンチン。大袈裟に言えば不法滞在されているかもしれないのです。

でも見回らなくなってみると、予想に反して心が柔らかくなっていきました。悪い想像にかられ人を疑い、変に緊張していた自分が恥ずかしくなりました。悪い想像は悪い現実しか招かないと気づきました。

林の木々達に挨拶できなくなったのは寂しいですが、いつだって心は彼らの中へ飛んでいけます。一緒に生きていると実感できます。

最近は、どうやってこの農場を、自然達を次に手渡していこうか?と言う事を考えます。

後は野となれ山となれ、と自分のいなくなった後はどうでもいいや、とは思えません。

今までずっと私を守り支えてくれ、一緒に成長してきた農場の命達を、愛し大切に思ってくれる人達に手渡していきたいのです。

 

出来なくなったことが増えた分、心のゆとりや人を信じる気持ち、認める気持ちが出来てきました。そして今ある自分を素直に受け入れていくこともできるようになりました。

 

ここは特別美しい場所ではありません。目を見張るような景色もありません

でも最近「素敵な農場だね」「気持ちがいいね」と言ってくれる人が増えました。

それが嬉しくてたまりません。きっとそう感じられる人たちが集まってきたんだと思います。

 

久しぶりに夕方空を見たら夕焼けが綺麗でした。

農場の果樹やライラック、柳達の黄葉が始まりました。

ハチドリも家の周りを元気に飛び回り始めました。

命があふれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スモモとライラック