時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

あるいている道

nojomallin2018-07-30

あれれ!今気づいたけれど、日本で暮らした年月と、海外で暮らした年月が同じになりました。と言う事は、この先どんどん日本暮らしが遠い思い出となっていくと言う事です。
アルゼンチンに長く暮らしていると、移住当初感じた驚きや発見、怒りや悔しさ、面白さや可笑しさが当たり前になって、それらを自然に受け止めている自分に気が付きます。それでも今でも時々、へえ〜凄いなあ、アルゼンチンらしいなあと思う事もあります。
先日も喫茶店で、お客さんが頼んだケーキにフォークが刺さって出てきたのを見て、えっ?と思わず声が出そうでした。お店ではそれがお洒落な感覚なのでしょうが、私には食べ物にフォークを突き刺す感覚はなかったので、ちょっと驚きました。
また家の作りには今でも驚きます。地震が殆どないので、レンガを積み上げただけであっという間に家を作ってしまうのです。これで本当に大丈夫?といつも驚きで見ています。
でも火山もあるし、地震が全くないと言う訳では無いので、もし万が一グラグラっと来たら大惨事になってしまいそうです。木で作る場合も、柱や梁に平気で生木を使います。当然数年経つと木が乾いて動き、隙間ができたり、窓やドアが閉まらない、開かないと言うことが出て来ます。でも此処ではそれがごく当たり前のことなのです。日本に住んでいる時はそんな不都合が存在する事すら知りませんでしたから、改めて日本の木の文化の凄さを感じました。
今日本語を教えている生徒さん。40代、60代の方が2人いますが、後はみんな私がアルゼンチンに来てから生まれた子供達です。この子達の歴史と私のアルゼンチンでの歴史が重なっている事が、不思議な気がします。
こんなに長く暮らしているのに、未だに(この先も進歩なしでしょうが)まともなスペイン語が話せず恥ずかしいですが、これからも私は私らしく、日本人として、アルゼンチン移住者として、今の暮らしを大切に大好きに暮らしていこうと思っています。
相変わらず曇りの日が続きますが、たまに晴れると、太陽の強さが「暖かい」より「なんか暑い」と感じます。晴れの日は気温差が激しくて戸惑います。
凍っていた大地が太陽の熱で表面だけ溶け、見事なぬかるみになっています。雪道も怖いですが、このぬかるみ道も車のタイヤが滑ってなかなかスリルがあります。四輪駆動でないと、泥にはまって進めなくなる事もあります。車を洗っても直ぐに泥で汚れてしまい可哀想です。
以前なら天気の良い日は外仕事をしていたのですが、今年は何となく動き出せずにいて、無理せずにもう少し暖かくなって、周りが乾いてからにしようと思っています。
農場の花も草も土の中では芽が動き出しているのでしょうが、見た目はまだ冬ごもりしている様です。

おもしろい体験

6月末に降った雪が溶けずに農場を白く飾っていたのですが、木曜日からの雨ですっかり姿を消してしまいました。
今年は太陽の照る日が殆ど無い、どんよりと暗い冬を迎えています。
冬でも天気の良い日は外に出て、枝を払ったり枯れ木を切って薪の準備をしていましたが、今冬は2ヶ月以上外仕事が出来ずにいます。
でも雨は好きです。夏の旱魃を思い出すと、水がある、周りに湿気があると言うのは「ほっ」と落ち着きます。

ところで、我が市は電気代の請求が2ヶ月に一度あります。町の人は各家庭に郵便で請求書が配達されますが、我が家のある地区は町から離れているし、番地も無いので郵便は届きません。
それで奇数月に郵便局へ請求書を取りに行きます。
ネットが普及する前は、郵便が届くのが楽しみで、町に行くたび郵便局へ寄っていましたが、今では電気代の請求書を受け取りに行くだけになってしまいました。
今月はなかなか請求書が届かずに、3回も郵便局へ行くことになってしまいました。
雪が降って、メーターを見に来るのが遅れたのかなあ?面倒臭いなあと思っていました。
請求書が来ても、郵便局では支払いが出来ず、それを払うためには別の場所へ行かなければなりません。支払い日は、当たり前ですが皆が行くのでいつも行列です。
500m位離れた支払所へ向かいながら、インフレのアルゼンチン。今月は一体幾らに値上がったんだろうと請求書を見て、「???」と立ち止まってしまいました。
支払い金額の場所には0が3つ並んでいるのです。
「やだなあ!こんな間違いされたら、電気局へ行かなきゃあいけないじゃん!いつも凄い混んでいるから買い物する時間がなくなるじゃ無い!」
「でも間違えたのは私じゃ無いんだから、知らん顔していれば良いか?」
「放っといて電気止められても馬鹿らしいなあ。」
色んな考えがグルグル頭を巡りました。

それで町に住む情報通の友人に相談する事にしました。
「あのさあ、電気代の…」全部言い終わらないうちに
「ゼロだったでしょ!?」と返事が返って来ました。
「ええ〜。皆んなそうなの?」

彼女の説明、スペイン語で詳しくは分からなかったのですが、去年の大雪と今年の雪で停電になった事で、多数の住民が電気局へ文句を言ったらしく、電気代を今回だけ大幅に値下げする事になったそうなのです。
消費電力の限度を設け、それ以下の場合はタダ。それ以上は超えた分のみ請求になったそうです。

町の生活は冷蔵庫も掃除機もテレビも電子レンジも当たり前。電気温水器で24時間お湯が出ます。暖房もガスと電気を使っています。電気が無い生活は死活問題に関わると言っても大袈裟ではありません。去年の大雪後、自家発電機が倍以上値上がりしたにも関わらず売りきれ、町の店から消えたそうです。
ですから、文句にも恐ろしく力が入っていたことでしょう。青筋立てて身振りをまじえ騒ぎ立てる姿が目に浮かびます。
気の弱い私なんかには決して出来ない事です。
でもそのお陰で今回は電気代無料と言う面白い体験をさせてもらう事が出来ました。

我が家は水路から電気ポンプで水をタンクに汲み上げて使っています。ですからずっと電気のない生活は出来ません。でも電気が無くても困らない生活、楽しめる生活を目指していきたいと思っています。

電気、ガス、ガソリン。燃料がどんどん値上がっていきます。電気代は消費量は変わらないのに、5年前の5倍以上になりました。日本に比べると安いと言われますが、私は円や米ドル生活者ではありませんから、安いとは思えません。
でもそれでも、文句や不満を言うよりも、自国が経済破綻していても、今が良けりゃあそれで良し!と面白しろ可笑しく暮らしているこの国の南米気質の良い部分だけは見習って、毎日を楽しみたいと思います。


かさなる世界

「ああ、もう今年も半分が終わったんだ」と6月のカレンダーを破りながら、しみじみと感じました。
去年は6月に40年ぶりの大雪が降り、10日以上も停電でした。雪の重みで折れた枝や木を整理しながら、この生木が乾く来年の冬は、薪が十分にあって暖かく過ごせるな、と思っていました。そして今、その冬を過ごしています。あの時感じた気持ちと、今の気持ちとが重なり合って、過去も未来もある様で無いもんなんだなあなんて、訳の分からない事を考えています。
夏から、からりと晴れた日が1週間と続かないどんよりとした日々が続いています。
今年は6月の初めに雪が降りましたが、それからは雨となっていました。でも6月最後の日、雨がいつのまにか粉雪になりました。夕方6時から停電になり、翌朝明るくなって外を見ると、一年ぶりの大雪でした。幸い去年ほど雪の被害は無く、重みで道を塞いだ枝の整理も数時間で終わりました。停電も46時間ですみました。
パタゴニアと言っても、ここでは雪国生活をする日は僅かです。ですから、不便も面白さに変えて、雪の暮らしを楽しむことが出来ます。
さて、今年はワールドカップの年です。アルゼンチンで迎えるワールドカップももう7回目です。
日本にいる頃は、ワールドカップなんて全く関心がありませんでしたし、第一そんな大会が存在することさえ知りませんでした。
アルゼンチンへ来て最初のワールドカップで、南米のサッカー熱に驚きました。アルゼンチンの試合の時は、みんながテレビ観戦しているので町がガラガラになり、商店も開店休業状態になるのです。日本語教室をしていた市の文化センターが試合時には閉まってしまい、何も知らずにいた私は、試合が終わるまで寒風の吹く(こちらは6月7月は真冬ですから)外で待っていたこともあります。周りに合わせて、興味も無いくせに、わざわざ友人宅へ試合観戦に行ったりもしました。
でも今年は私の日常にワールドカップは殆ど関係していません。
アルゼンチンの試合の時も、田舎の家の周りでは静かなものですし、付き合う人も日本語の生徒さんたちもワールドカップには興味がありませんし、町での日本語教室も、文化センターから私立の教室を借りる様になったので、試合でも何の影響もありません。これはアルゼンチンがワールドカップに関心が無くなったのではなく、私がワールドカップに影響されなくなったのだと気付きました。
ずっと、自分の意志よりも人からどう評価されるか、周りとどう同調していくかを考えていました。色んなことを手放したら楽になると分かっていても、勇気がありませんでした。でもここ数年の大きな変化の中で、自分が変わっていけた気がします。
自分らしくいることで、離れていく人もいますが、それはその人と自分の重なっていた部分が少なくなっていっただけで、決して悲しいことでも悔しいことでも無かったのです。そして私の世界と違和感なく重なってくれる人や出来事が増えていくんだと希望を持てるようになりました。
アルゼンチンでワールドカップに影響されない世界が存在して、私の世界がそこに大きく重なった様に、これから先自分らしくいる事で、今まで知らなかった世界や人と重なれ、どんどん心が軽くなっていくんだと思っています。

「つたわる優しさ」

nojomallin2018-06-18

猫柳と普通?の柳は寒い我が家でもどんどん増えて、結構大木になっています。マジン地区にも沢山育っています。でも枝垂れ柳を見たことがありません。
ところがエルボルソンの街に行くと、枝垂れ柳を見ることが出来ます。一年中緑の葉を茂らせていて、その太さと高さに私はいつも圧倒されます。
町外れの友人宅へ行く途中に枝垂れ柳の小道があります。土道のここを車で通ると、放し飼いの犬達がワンワンとタイヤに向かって突進して来ます。
「おはよー。今日も元気だね。」
短い柳のトンネルを犬達に挨拶しながら通るのが楽しみです。

我が家にも長い年月をかけて作った緑のトンネルがあります。両側の木を切らず、車の通行に邪魔になる枝だけのこぎりで切って作ったトンネルです。去年の大雪で随分と折れてしまい、空が見える場所も出来てしまいました。
ここは毎朝犬達と散歩します。木々に抱き締められているようで、ホッと温かい気持ちになります。ただ春と夏、伸びてくる枝を切らなければならず、それが結構大変だし、枝に申し訳ない気持ちがします。

エルボルソンの枝垂れ柳は、誰も剪定もしていないのに、見事なトンネルを作っています。それは車が通る所だけ枝が伸びないからです。
以前はただ単に、車って害なんだなと思っていましたが、最近、自然は植物は凄いなと感動しながら通っています。
人間は自分達の利益や便利さが最優先で、己の価値観で邪魔なものは排除してしまいます。私だって申し訳ないなと思いつつ、木の痛みを感じる事なく枝を切っています。そこには共存とか同等の命だと言う気持ちはありません。
でも木はそんな私達とでも、何とか上手く共存していこうとしていると思ったのです。
我を張って枝を伸ばし続けたら、人間はいつか必ず木そのものを切り倒してしまいます。でも車の通る分だけ成長を止めれば、誰も文句を言わず切ろうとしないでしょう。かえって私の様に、綺麗だと思いながら通る人もいるでしょう。
本来ならここはこの柳の生きる場所なのに、「譲り合って皆んなで生きていこうよ」と言ってくれている気がしたのです。

優しいね。温かいね。ありがとう。
ギスギスに尖って、周りや自分自身を傷つける私の心が解れます。

ここで暮らせて良かった。この柳に出会えて良かった。
先の心配や不安、やりきれない悔しさ情け無さ、そんなものに何時迄も縛られている自分を、自然は救ってくれます。
正直に素直に優しく温かく生きたいと思えます。

パタゴニアは寒い毎日です。猫の福の場所と姿で、薪ストーブの火の加減を調整しています。今日は何時もよりストーブから離れて、ベロンと寝ているから暖かいのでしょう。今年16歳。大切にしたい福との日々です。








「ふみだす勇気」

つい最近まで、私にはどうしても出来ないことがありました。
それは一人で外食する事です。
家では一人で食事しているのに、何故か、レストランや喫茶店へ一人で入る勇気が、若い頃からずっとありませんでした。
一人で注文して一人で食べることが、とてつもなく寂しくて恥ずかしい事だと感じていました。ですから一人で出かけた時は、食事時になってもお腹が空いても、宿や家に帰るまで我慢していました。
パタゴニアに来てからは、それがもっと激しくなりました。
隣人達はお客様を歓迎する時は、自宅で手料理でホームパーティーをするのが普通でしたし、外食産業も日本や都会の様に充実していませんでした。ちょっと今日は外へ食べに行こうかと言う感覚そのものがありませんでした。
それに食事療法を始めて、植物の命は頂けても、視線の合う動物や魚、鳥などの命を頂くことにとても抵抗を感じる様になり、卵や乳製品も、その為に牛や鶏がどんな環境で過ごしているか知っているので食べられなくなり、肉食のアルゼンチンで注文できる料理がありませんでした。

先日車がパンクして修理に持って行きました。運悪く人が一杯で、長い待ち時間がありました。寒い日で外で待っているのが辛く、友人が以前教えてくれたベジタリアンレストランが歩いて行ける場所にあり、思い切って一人で入ることにしました。

レストランと言ってもこじんまりとした家庭的な雰囲気でしたが、先ずドアを開けることから緊張しました。そして入って、どこに座ろうかで戸惑いました。
座ってからも、何を頼もうかとドキドキしました。

幸いメニューは3種類だけで、乳製品や卵を使っていない「なすのかつ(milanesa de berenjena )セット」にしました。

通りから外れた住宅街にあるお店で静かだったことや、お客さんがゼロでは無いし、多過ぎもしない事で、落ち着いて食事する事が出来ました。
一人でレストランに入って食事をする、たったそれだけの事を、半世紀以上かかって出来るようになりました。そして贅沢だけど、こうした時間を持つのは決して無駄でも恥ずかしいことでも無いんだなあと思いました。

アルゼンチンには美味しいものが何も無いと言う人もいますが、私は種類は少なくても、味の好みが合わなくても、作ってくれた人や食材になってくれた命に、有り難い、嬉しいと感じ、美味しく頂こうと決めています。
でも正直言うとこのメニュー、超超薄味で、これに醤油でもかけたらもっと美味しいだろうなって思いましたが、それは人工調味料で育った私の舌が、素材の美味しさを感じる事が出来ないんだと思い直しました。

農場で犬達と過ごす時間は幸せです。しんどいと思う事はあっても、寂しいとは思いません。
でも時々は街でレストランや喫茶店に入って、私にとっての非日常的な時間を過ごすのもいいもんだなと感じました。それはとても贅沢な事ですが、今の私には、もしかすると凄く必要で大切な時間なのかもしれません。

今週の月曜日、前から気になっていた喫茶店へ思い切って入ってみたら、どうしているかなと気になっていた人に会え、来週家へ遊びに行く約束が出来ました。
人付き合いが下手で苦手ですが、「少しずつ外に向かって進んで行きなさい。応援しているから頑張りなさい。」と、何かの力が私の背中を押してくれた気がしました。







「たのしむ焼き物」

パタゴニアに来て始めた焼き物です。
薪窯を作り、粘土や釉薬になる鉱物を探しに乾燥地帯を旅し、松薪を準備し窯焚きをして、ブエノス・アイレスで展示会をしました。焼き物は暮らしの一部でした。一人では何も出来なかったけれど、同じ方向を向いて進んで行く人がいました。お陰で私は多くの事を学べました。
時が過ぎ、私を取り巻く環境が変わり、気持ちも変化し、以前の様な体力もなくなって、数年間、焼き物から離れていました。でも全く離れていた訳ではなく、細々と粘土の準備はし、お地蔵さまなど小さな物を作ってはいました。
生活の薪準備、細々した雑用、豆腐や味噌作り、規模の大きくなった日本語教室、持病克服の為の体操…ああ、焼き物に集中できる時間が無い!と焦っていました。そんな時
「嘘つき。そんなの言い訳でしょ。やる気が無いだけじゃない」
私を外から見る私の声が聞こえました。
子供の頃から何をやっても途中で投げ出し、自信を持てるもの、自分を磨いていくものが何もありませんでした。楽しくって大好きだった焼き物も、同じ様に投げ出そうとしていました。
私は土や鉱物の特性も、窯の温度変化も、理論的に何一つ説明出来ません。だから自分に自信が無く萎縮していました。私のやっているのは単に粘土遊びだと自虐していました。
でもやっと、私は私と思える様になりました。笑いたければ笑えばいいよ。馬鹿にしたっていいよ。それが私なんだから、と良い意味で開き直れました。
4月26日大安吉日、一年ぶりに窯焚きをしました。
前日に窯詰し、当日はまだ暗い朝4時半から焚き始めました。予定は12時間。今回は殆どが置物の素焼きなので、ねらしの時間を短くして、暗くなる前の終わろうと決めました。
零度近くまで気温の下がった寒い日で、窯を焚きながら、猫の福のために家の薪ストーブも付け、家と窯場を行ったり来たりしました。
窯焚きはいつだって緊張します。薪の準備だって、作品を作るのだって簡単ではありません。だから絶対納得のいくまで焼こう、反省はしても後悔はしない窯焚きをしようといつも決めています。
今回は10時間で窯どめしました。よし!と思ったのですが、二日後の窯開けで、釉薬をかけた数点がねらし不足で土からの色が滲み出ていませんでした。
でも楽しかったです。
今回は試しに、処理に困っているワインの瓶を窯で溶かしてみました。狙い通り、一本が驚くほど小さくなり、器の中で溶けて割れにくくなりました。次回はもっと大量に溶かそうと思います。
焼き物は結構重労働です。重いものを運んだりします。窯詰めの時、窯どめの時、薪準備の時、焼いている時、窯出しの時、正直しんどかったです。
でも最近思うのです。今私がやれている事、後何回やれるのだろうと。だから今出来る事を大切にやらなければいけない。動く体に感謝しなければいけないと。
焼き上がった作品達。釉薬をかけるものは掛けて次回に焼き、素焼きの物は農場内の切り株に飾ろうと思います。もし誰か欲しいと言ってくれる人がいたら、喜んで養子に出します。
ただ作品を作るだけじゃ無く、粘土を掘り出し、松を切りだして割って薪にし、窯の修理をし、釉薬を作る。そう言った全てのことを楽しい、面白いと思ってくれる人、きっと何処かにいるだろうから、出会えるのを夢見て、私が楽しんで楽しんで、これからも楽しい未来を引き寄せていこうと思います。


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「みたされる心」

雨や曇りでぐずぐずした天気が続いていましたが、ここ数日秋晴れです。曇り空の下では、今年は山も里も紅葉が冴えないなあと思っていましたが、なんのなんの、今は青い空にアンデスの山の紅葉がくっきり浮かびとても綺麗です。里はポプラや柳やブナやリンゴなどの果樹が黄色く輝いて、パタゴニアの秋を彩っています。
今夏は雨が多く、例年よりも大地に湿気があったのか、キクイモが2メートル以上伸び、小さいですが花が咲きました。キクイモはこちらではトピナンブルと呼ばれており、我が家ではあちこちで増え自生しています。とても強い植物ですが、寒く乾燥気味の我が家で花が咲いたのは20年のうち3回か4回くらいです。
このキクイモ、何もせずにどんどん増えてくれるのは有り難いのですが、正直主食となるものではありません。それはとても癖があり、煮ても焼いても炒めても揚げても茹でても生でもあまり美味しいとは思えません。しかも食べるとお腹にガスがたまり、それが気持ちよく出てくれたらまだ許せるのですが、何時迄もお腹の中に留まっているので、結構苦しいものがあります。
けれども1年以上味噌に漬けておくと、そのガス問題も無くなり、キクイモの甘みと味噌の味が絡み合って、べっ甲色のそれはそれは美味しいお漬物が出来るのです。
この時期は収穫した乾燥そら豆で味噌を仕込みますが、同時に少し干して水分を取ったキクイモを底に漬け込みます。
このキクイモ漬けはそのまま頂いても美味しいですが、私はくるみと向日葵の種と黒ごまとネギと生姜とキクイモ漬けを全てみじん切りにしたものに、少量の黒砂糖、時に白ワインを入れ、それらを完熟味噌に混ぜ合わせ「NAMEMISO」なる物を作って楽しんでいます。
この「NAMEMISO」。ご飯にもパンにもよく合い、友人にも結構人気があります。
そしてこの時期は梅干しの天日干しの時期でもあります。梅は気候的に育たないので、プラムで作る梅干もどきです。ただプラムの収穫が夏。作り方は梅干と同じですが、水分が上がってそれから干す時期になると、秋の雨の多い時期にかかってしまいます。今年は天気が悪く、晴れの日が3日と続かなかったので、天日干しが出来ないかとやきもきしましたが、今週は快晴が続き、結構良い感じに仕上がりました。
収穫時期も良かったのか、味も口当たりも私には最高の出来に思えます。でもまあ、味音痴の私の言うことですから、自画自賛で「NAMEMISO」も梅干もどきも、美味しいと言ってくれる少数の友人と自分だけで楽しむ事にします。
旅行したり、登山したり、何かの行事に参加したり、誰かに会いに行ったり、外に向かって行動する事が無くなりました。でもこうして自分なりの暮らしのリズムの中で過ごせる事を、とても幸せだと感じます。
私は私らしく居ることしか出来ないと気づきました。私らしく居れば、例えどんなに時間が掛かっても、私らしさを受け入れ慕ってくれ、見つめる方向が同じの人達が集まってくると信じています。それをドキドキワクワクしながら思う事ができます。
秋の光の中で、自然の恵みを口にして、今までいろんな人達に支えられ、助けられて来たんだなあと感謝の気持ちで一杯になっています。
そんな穏やかな気持ちにさせてくれるパタゴニアの秋。今を大切にしたいです。


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