時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

ながれる水

nojomallin2018-09-27

9月21日はアルゼンチンの「春の日」です。同時に学生の日でもあります。
今年の「春の日」は冷たい雨の降る日で、アンデスの山は雪が降りました。
それから今日まで、1日だけ快晴の日がありましたが、後は雨、曇りでとても春とは思えない寒い日が続いています。
それでも梅や水仙木瓜の花は咲き、姫リンゴの蕾も日に日に膨らんでいます。

そんなある春の日、私の奥歯が突然抜けました。
左の上の奥歯で、その歯はアルゼンチンに来てから虫歯になりました。日本への初帰国は移住してから6年後。その時には痛みがどうにもならなくなって、日本帰国と同時に健康保険に入り歯医者へ行きました。殆ど原型を留めないほど削り、冠を被せてもらいました。
ところが数年前からその歯がまた痛み出しました。加齢で歯が縮んでか、歯茎と冠の間に隙間ができ年々広がっていきました。食べるとそこに物は挟まるし、熱いものも冷たいものも飛び上がるほど沁みました。
歯医者へ行っても、その日本製の冠を取って治療するのは無理らしく、いつも痛むわけではないので、気にはなりましたがそのままにしておきました。

その日の朝、犬たちにご飯をあげて、姫リンゴの蕾を確認していたら、突然、その歯がムズッときたのです。ああ、この感覚は詰め物が取れる時のだ。参ったなあ、でもこれで歯医者で治療してもらえるな、と思って外れた冠を回収しようとしたら、歯茎にグニュっと抵抗がありました。
そして奥歯が抜けてしまったのです。
あの歯が抜ける感覚。つまり乳歯が抜ける感覚。半世紀近く前のそれをはっきり覚えていたことに感動してしまいました。
血も出ず、舌で触るとどうやら歯の根の先は残ってしまった様ですが痛みもありませんでした。

落ちた歯をしげしげ見つめ、長い時間ご苦労様。ありがとう。と思いました。
神経質で気が小さい私がその時には、どうしようとか、困ったとか不思議に思いませんでした。

潰れて取れなくなったコルクが取れ、瓶の中の腐った水を流してスッキリした気持ちがしたのです。私は何年も、手にした瓶の中の水が澱んでいるのに気づいていたのに、その水を流す勇気が持てませんでした。この水を流さない限り新しい水は入って来ないと分かっていても、大きな変化が怖くて全てを手放すことが出来なかったのです。

痛んでいた歯がコロリと落ちた事で、「そうか、こんな簡単な事だったんだ。」と納得出来ました。

歯医者に行こうと思ったのは半日だけでした。ぽっかり空いた隙間を埋めるため、隣の歯が動き出すかもしれないし、残った根がこの後どうなるかも分かりません。
でも取り敢えず今、何の問題も感じないなら、そのままにしてみようと思いました。
どうして突然歯が取れたのか?その意味を考えてみたくなりました。そして今後どうなるのか?流して空にした心の瓶と共にその経過を楽しんでみようと思います。

ところでこの抜けた歯(殆どが冠ですが)、歯医者へ行こうと思った時、歯医者に見せようと財布の小銭入れの中へ入れておいたのですが、何処で落としたのか無くなってしまいました。レジで「何だろう?」と見つけた店員さんが手に持ってギョギョギョ!と驚く姿を想像して一人で笑っています。
因みに金ではなく、保険で作った冠です。