時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「生き方」


一周忌も過ぎたので、犬の「らくう」のことを書こうと思います。

「らくう」はのうじょう真人の3代目の犬です。1代目の犬「ちょり」は、毛のくるくるしたとても可愛いオス犬でした。その「ちょり」がマジン地区に住むフランス人のおばあちゃんに気に入られ、彼女の犬「ちき」ちゃんとお見合い。その結果生まれたのが「らくう」という事になっています・・・が、クリーム色の「ちょり」とグレーの「ちき」ちゃん。どちらも毛がくるくるで顔がぺっちゃんこの狆系の犬なのに、「らくう」の毛は真っ黒なストレート。顔は鼻先がつんととんがっていて、とても「ちょり」の息子とは思えませんでした。

「らくう」は子犬の頃から、寂しがって鳴くことも無く、人に甘えることも嫌いで、ボールなどでじゃれて遊ぶこともない独立独歩の犬でした。

「らくう」との付き合いは12年でした。小型犬としては短命といえるかもしれません。私自身も「らくう」とそんなに早く別れることになるとは想像もしていませんでした。

5年ほど前に、咳が止まらず車で獣医に連れて行ったのがきっかけになって、それからは車でのお出掛けが大好きとなり、何処へ行くにも一緒でした。またその頃から家の中で一緒に過ごすようになりました。

ペリートモレノ岳も何回も頂上まで登りましたし、乾燥地での焼き物材料探しの過酷な旅も、お客さんの観光地案内もいつも一緒でした。

食欲が無くなって2日後、夜外へ出たがったので出してあげたのが最後でした。それっきり帰って来ず、農場中、藪をかき分けどんなに探しても見つかりませんでした。それから連日マイナスのとても寒い日が続き、半分覚悟はしていましたが、それでも、ひょっとしたら、ひょっこり帰って来るかもしれないという思いも捨て切れませんでした。

結局らくうの体はその2ヵ月後見つかりました。

らくうの別れが寂しくなかった訳ではありません。でも胸をかきむしる様な悲しみはありませんでした。

一年たった今でも、らくうのことをよく思い出します。らくうを思い出す時はいつも笑顔になれます。それは楽しかった事、可愛かった事、面白かった事ばかり浮かんでくるからです。らくうとの付き合いに後悔なんて少しもありません。

この手にらくうのぬくもりを感じられなくなった事は寂しいですが、らくうの思い出はその寂しさを直ぐに吹っ飛ばしてくれます。

最後まで毛艶も良く歯も丈夫で、病むことも無く、苦しむ姿も見せず、あっけないほどサッパリした別れで、とてもらくうらしかったと思います。

らくうを思う時、私は自分のこれからの生き方を重ねます。いつでも笑って思い出してもらえるような、思い出すことが悲しみや苦痛ではなく楽しみであるような、そんならくうの様な生き方をしていこうと思うのです。