時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「のうじょう真人の通信事情」

嘘みたいな本当のお話ですが、我が家には電話が有りません。

これは地形的に我が家にだけ電波が届かないのです。自費でアンテナを建てれば何とかなると電話局の人に言われましたが、その費用を聞いてあっさり諦めました。

日本の家族の援助でノートパソコンは持っているのですが、当然接続は出来ません。

それではどうしてサイト維持をしているかと申しますと、週一回車で30分のエルボルソンの町に下り(標高差200mで、行くというより下りるという表現の方がピッタリします)WiFiを利用して、更新やメール通信をしているのです。自宅がネット環境に無いというのは、日本では想像がつかない事ではないでしょうか?

それでもここ数年で、通信事情は飛躍的に進歩したのです。

ここに住み始めた頃は、手紙が唯一の通信手段でした。しかもその当時は日本まで3週間で届けば幸運!時々は行方不明になっていました。(これは15年経った今でもそれ程変わっていない気もしますが)

数年後、町の電話局に一台だけコンピュターがつきました。当時はその一台に人が集まり、順番待ちがありました。

それから暫くして町にぽつぽつインターネットカフェが出来始めたのです。ところが日本語対応はなく、あまり私達の役にはたちませんでした。

やっと親切なネット屋を見つけ、許可をもらい移住の先輩が日本語をインストールしてくれてなんとか日本語を読める様にだけはなりました。その頃私達はサイトを立ち上げました。日本語が書けないので、家のノートパソコンでサイトを作りメールを書いてCDに書き込み、ネット屋でそれらを一つ一つコピーして更新したり送信したりするという、とても手間と時間のかかる事をしていました。しかもネット屋でネット接続が突然切れてしまったり、メールを開くだけで10分はかかったりすることがざらでした。

3年前に町のガソリンスタンドの喫茶コーナーでWiFiが出来るようになったのですが、その速度の遅いこと遅いこと。時々は固まって動かなくなります。

でも、贅沢は言っていられません。その場でメールを送ることも、検索する事も出来るようになったのですから、私達には夢のような事なのです。

私達にとっては夢のような進歩ですが、日本から考えると、まだまだ想像を絶する不便さだと思うのです。きっとこれはここに来て、実際に体験してみなければ理解出来ない事でしょう。

長々と書いてしまいましたが、こういう訳で、サイトを見て連絡下さっても書き込みしてくださっても、お返事に早くて一週間はかかります。時々「今エルボルソンにいます。連絡下さい。」というメールを、その方がエルボルソンを去ってから読むと言うこともあるのです。そう言う時は、もどかしさと申し訳なさで一杯になります。


けれども不便だなあと思う反面、今の状況を何が何でも変えたいと思うことも有りません。こんな暮らしもあるんだよ、便利さと心の豊かさは比例しないことも多いんだよ、と、伝えたい気持ちが有るからです。それにとろい私では、この溢れる情報の中から、本当に大切なことを見つけだす事が出来ないと思うからです。

これからも、のうじょう真人ペースでのんびりゆっくり進んで行きます。ご迷惑をお掛けする事もありますがお許し下さい。そして時々は私達と並んで、私達の歩幅と速度で一緒にゆっくり歩いてみませんか?