時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

nojomallin2006-07-27

毎年、毎冬、エルボルソンやマジン村、周りの町では「あっけな滝」「あっけな川」が増えています。「あっけな滝」「あっけな川」とは私が名付けたのですが、雨が降ると現れ、雨が止むと姿を消す、とても「あっけない」滝と川なのです。
一晩雨が続くと、直ぐにあちこちで滝や川が出来るようになりました。そしてその日のラジオは「家の周りが水浸しだ!」「川が増水して危ない」と住民からの苦情で溢れます。今までも冬の雨の多い時期に現れる滝や川はありました。けれどもここ数年はその数が増え、思わぬ場所に現れる様になったのです。雨の日にエルボルソンや隣村に行くと、道路脇を水が流れ、低い所は沼になり、丘のあちこちから水が滝となって流れ落ちていくのを目にします。
我が家でも何本もの小川が道を伝い流れ、農場中を水浸しにする様になってしまいました。
流れていく水を見ながら、私はとても切ない気持ちになります。
木を伐り、無計画に道や家を作った結果がこうなのです。どうして原因を見ないで、自ら反省しないで「水浸しを何とかしろ!」と文句を言ったり、自分の所にさえ水が来なければ良いと、周りを考えず溝を掘るのでしょうか?
本当なら、天からの水は木や大地がきちんと吸収して、こんなにもあちこちに「あっけな滝や川」が出来るはず無いと思うのです。そして、標高の低い地区で川が濁流になって増水し、被害が出る事もないと思うのです。
ここに住むな!木を伐るな!とは言いません。でも、生活の為に木を伐ったら、その何倍もの種を播くべきだと思うのです。道も無計画に自分の都合だけで造ってはいけないと思うのです。いくら植林された木だからと言っても、山一つを丸坊主にするほど一気に伐ってはいけないと思うのです。
でも、私の考えは理想論でしかないのでしょう。
雨の度に濁流となって流れていく水を見ながら、私は自分の居る現実を受け入れるしかないのだと思います。
水は低い所へ形を変えながら流れていく。それならば、私の所に流れてきた水を受け止め、それから先を、目を反らさず見つめていこうと思っています。