時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

雨は緑から生まれるということ

nojomallin2005-10-13

「ビュン、ビューン」
時々、突風が吹き付け、車が微かに震えます。禿げ山が続く風景の中では、外でどの位の強風が吹いているのかは分かりませんが、運転する夫は、ハンドルを取られない様に緊張しています。
ボルソンから南へ約180km。お隣のチュブット州のエスケルと言う町へ向かう道での事です。
エスケルは11年前、土地探しの時に来ました。大きな町で住む気はありませんでしたが、近郊の田舎町でキャンプしながら土地探しをした、懐かしい思い出があります。ただ、あの時から、山の緑が薄く、禿げ山もあり、乾燥気味な景色が気に掛かっていました。
そして今回、3年振りにエスケルに向かい、その乾燥速度の速さ、規模の大きさに、改めて驚きのため息が出ました。
森や林なんて何処にも見えず、棘のある乾燥に強い灌木だけが生え、時々川沿いに植えられたポプラや柳があるものの、乾いた、息が詰まりそうな景色が続くのです。
「雨雲はアンデス山脈を越えられないから、チリ側では雨が降るけど、アルゼンチン側では降らない。だから乾燥砂漠になる。当たり前でしょ。」
そう説明されても納得がいきません。16世紀以前、移住者が来て家畜の大放牧を始める前は、ピューマが居たといわれています。ピューマが居たと言うことは、その餌となる小動物が居て、その小動物達が生られるだけの緑、森があったと思うのです。
福岡先生が言われる通り、雨が降らないから砂漠になったのではなく、森が消えたから雨が降れずに砂漠になった筈です。アンデス山脈がどうこうと言うのは、言い訳に過ぎない気がします。
そして、そんな乾燥地帯にも、牧柵が張られ「ここはおらの土地。入るな。」と主張しているのです。心寒い景色です。牧柵を張る時間とお金を、種を播く事、緑を復活させる事に使えば、それは何千haという土地を所有する事より、ずっと価値ある事だと私は思うのです。