時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

答えは見つからないと言うこと

nojomallin2005-08-13

外はまだ薄暗8時半。たっぷりと時間をかけたマテ茶とパンの朝食を終え、私は日課の手洗い洗濯を始めていました。その時
「おーい。子犬が来てるぞ。」
暢気な夫の声が玄関から聞こえてきました。濡れた手のまま玄関へ行くと、愛犬パク邸(玄関横の茂みに置いたリンゴ箱)の中に、小さな黒い子犬が入って私達を見つめています。我が家の3匹の犬共は、怒りもせず遠巻きに子犬を見つめているだけです。
「何してんの。追い返さなきゃあ。」
「可哀相だろ」
「そんなこと言って、居着かれたらどうするのよ!」
キッーとなった私は、その子犬を両手で掴んで隣家に向かいました。二ヶ月齢位でしょうか。鳴きもせず、嫌がりもせず、力を抜いて子犬は私の手の中で揺れています。隣家との柵を越え、5m位入っス林の中で子犬を下ろし「しっ、しっ、」と追い払いましたが、子犬はしっぽを振って私の方へ戻ってきます。仕方ないので「家にお帰り!」と怒鳴り、手をぱんぱんと打ち鳴らしました。すると「キャヒーン」と、嚇そうと思ってやった私が反対に驚く程の大きな悲鳴をあげ、子犬はお腹を見せて寝ころびました。だめ押しとばかり、もう一度手を打ち鳴らすと、子犬はしっぽを撒いて一目散に逃げていきました。
隣家で生まれる子犬達。毎年この時期になると私の気持ちは沈みます。私には何も出来ないのだから、関わらずにいたい。子犬達の運命を考えずにいたい。卑怯だけど正直な気持ちです。
車からひょいと下ろされた犬が、必死になって車を追いかけて行く光景や、轢かれたのか、横たわる母犬の周りから離れない数匹の子犬を目撃すると、悲しくて、でも、その光景を早く忘れようとする自分が情けなくてたまらない気持ちになります。
私の手の中で揺れていた子犬の綿毛の様な毛の感触、温もりが残っています。あの時、あんな風に手を打ちならして怖がらせなきゃあよかった。罪も無い子犬に、怒りなんかぶつけるべきじゃあ無かった。8月の天気の様に、私の心はどんよりと重く沈んでいます。