時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「思いを集める」

忘れられない味があります。今までで一番美味しいと思い、今でもそう思っています。

それは15年前にのうじょう真人で初めて収穫した「林檎」です。

引っ越した当時、近所の農場にはたわわに実を付けた林檎やカリンの果樹があるのに、我が家には栽培木イチゴ畑があるだけで、自家用果樹はプラムと林檎とさくらんぼの若木が一本ずつあるだけでした。プラムとさくらんぼの収穫期は終わっていましたが、林檎にはたった一つ実がついていました。

その実を見るのが夫と私の毎朝の日課となりました。「風に落ちないで!」「鳥や虫に食べられないで!」と、毎日祈るような気持ちで、楽しみに楽しみに林檎の色づきを眺めていました。

「そろそろかな?」

「まだ早いんじゃあない?」

そんな会話を繰り返しながら、秋の深まったある日、私達はその林檎を大切に枝からもぎ取りました。

暫くその林檎の重みや感触を楽しんだ後、皮付きのまま、そのみずみずしい果実を分け合って食べました。

それは感動して涙が零れる味でした。美味しいって、こういう事だと心から思いました。

大袈裟ですが、ああ、この林檎が私達をここに導いてくれたんだ、私はこの大地の命を頂いたんだと思えました。その時から、のうじょう真人を自然の力の一杯詰まった美味しい果実がたわわに実る果樹園に変える事が私の目標になりました。

15年間、私達は手に入るあらゆる「種」を播き続けてきました。風や鳥が運んだ種も多いです。移植は極力しませんでした。それは早く収穫する事よりも、種が自分で選んだ時期に芽を出し育った木の方が、ずっと自然で力強いと思うからです。

一昨年あたりからそう言った果樹の実を収穫出来るようになりました。自然に任せ自然に育った木は農場のあちこちにあり、収穫に手間はかかりますが楽しみも大きいです。そして、芽を出した頃の小さな姿を思い出し、「よく大きくなったね。ありがとう。」と話しかけずにはいられないのです。その感動は決して薄れる事はなく、毎年増えています。

日本では木の種を播くという感動やゆっくり育つ木の成長を見守る楽しみを、どれだけの人が体験する事が出来るのでしょう?そう思った時、ここで生まれた苗木の里親さんになって頂いて、遠くからでも一緒にその子の成長を見守って頂けたら、きっと楽しいだろうなあと思ったのです。そして、里親さんになって頂くことは、私にとっては里親さんの思いをこの大地に頂くことだったのです。

それは周りが開発でどんなに変わろうとも、のうじょう真人に多くの人の優しい気持ちが集まっていれば、ここは無くならずここからまた自然の緑が復活していくと信じることなのです。

のうじょう真人には友人に贈った苗木は林檎やプラム、さくらんぼなどあります。みんな、その成長を遠くから見守り、最初の果実を食べる日を心待ちにしてくれています。


先月は、サイトを見て応募下さった初めての方がフランスから「楓」の里親さんになって下さいました。

生まれたばかりの小さな楓。この子がいつか大木になって、真っ赤な葉を風に舞い踊らせるその姿を、里親さんと一緒に見ることが出来たら最高だなあと、今から楽しみにしています。