時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

おしえられる情緒

もう散ってしまいましたが、11月の最初、家の前の姫りんごの花が満開でした。
姫りんごは日本では、お祭りの時、りんご飴として屋台で売られていたと思います。
私は子供の時、このりんご飴が食べたくて食べたくて仕方ありませんでした。でも「りんごはそのまま食べるのが一番美味しい。」の母の言葉に、買って欲しいとどうしても言えませんでした。大人になって自分で買えるようになっても、何故か買いませんでした。年取った今は、食べたいとはもう全然思いませんし、りんごはやっぱり、もぎ立てを丸かじりが一番と思いますが、この花が咲く度、お祭りでりんご飴の屋台の前を羨ましく通り過ぎた子供の自分を思い出します。
小さな苗木を貰って植えたのはもう20年近く前です。まさかこんなに大きく育つとは思っていませんでした。
花は他のりんごと違って濃い紅色で、見事に咲きます。花を楽しむりんごです。
実も育ちます。摘果なんてしませんから、真っ赤な小さい実が正しく鈴なりです。
一度食べてみましたが、それはもう恐ろしく「不味い」ものでした。スカスカで甘くも酸っぱくもなく、渋みがあって、これは日本のりんご飴にする姫りんごでは無いな!と分かりました。
ところで、この花があまりにも見事に咲いたので、今年は日本の友人に写真を送りました。写真ではその見事さがあまり伝わりませんでしたが、気に入ってもらえました。そしてメールに「後ろにかかっている霞がいい雰囲気ですね。」とありました。
う〜ん。
実はこの時、家の横にある露天風呂を沸かしていて、その煙がもうもうと立ち昇っていたのです。それで「実はあれ、露天風呂を沸かしている煙なんですよ。情緒ないですね!」と種明かしをしたら、「めちゃめちゃ情緒あるじゃないですか」とすぐ返事を頂きました。
その時、はっとしました。私にとっての当たり前の生活の一部は、見方を変えれば凄く素敵で情緒ある事だったんです。
花が咲いて綺麗、鳥たちが歌ってる、キノコが出た、朝焼けで空が燃えている、木と風が会話してる、星が流れた。
そんな自然の美しさに感動していたけど、私の暮らしは、お風呂を沸かす煙も、畑に撒く堆肥も、家に張る蜘蛛の巣も、その全てが価値あるもの、愛おしいものだと分かりました。
今居ること。ここで出会った全てのこと。私の周りにあるもの。
私はもっともっとそういう事に感動し感謝しなきゃいけないんだと改めて感じました。



パタゴニア特有の強い西風が吹くようになりました。風で木の枝が折れ、電線にぶつかり時々停電になります。数時間で復旧しますが、これもパタゴニア暮らしの情緒(ちょっと違うかな?)と楽しみます。
黄色いカラファテの花が咲きました。この紫の実を食べると、又パタゴニアに帰ってくると言われています。
道路脇にはルピナス(昇り藤)とエニシダの花が咲いて目を楽しませてくれます。
タンポポは綿毛になって風に乗っていきます。