時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「来てくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。」

3年近く前、私は本気でここを引き払い日本帰国を考え準備を始めていました。後継者か長期留守番を思いつく限りの方法で探しました 。帰国に際して一番の問題は当時一緒に暮らしていた4匹の犬と猫でした。応募を見て何組か連絡を頂きましたが、実現には至りませんでした。そして私が最良だと思って決めた日本再移住は、実は自分の独りよがりだったとわかり、結局帰国をやめにしました。日本が私から遠く離れて行く虚しさもありましたが、正直ホッとした気持ちの方が大きかったです。
そして私はここで一生暮らすと決意を新たにしたら、今まで抱えて来た漠然とした先の不安や日常の小さな不満が消え、代わりにこの先の夢や希望が具体的に浮かんできました。そして身動き出来なくなるから、自分も年を取っていくからもう動物たちと暮らすのは止めようと思った気持ちも消えました。
心配なんて 無駄な事。心配が実現するのではなくて、心配する心が心配した事を招くだけなんだと思いました。
いつの間にか皆んな旅立ってしまい、側にいたのは犬の伏姫と猫の福だけになっていました。もっと家族を増やしたい。私は犬達と暮らしたい。そういう思いが強くなって、犬のお嬢から縁ができた動物愛護協会に連絡を取って見ました。出来れば姉妹の成犬が良いと言うと、協会のラウラの顔がパッと輝き「ぴったりの子がいるわ。姉妹じゃないけど、同時期に保護してずっと一緒にいるから、離したくなかったの。」と。
そうして一歳ちょっとの「テリー」と「ホセフィーナ」をクリスマスイブの日に引き取りました。
2匹は直ぐに姫をお姉ちゃんと慕い、姫も大人しいフィナが特に気に入ったようです。
協会が里親探しの活動をしている町の広場に、時々2匹の元気な写真を見せに行っていました。3月末に行った時です。木につながれている犬を指して、「この子ブエノスアイレスの野良で、事故にあったのをこちらへ旅行に来る途中の青年に保護されたの。その人滞在した町の動物愛護協会に尋ねたけれど、どこでも引き取れないって断られたって。私は連絡受けた時、あなたの顔が浮かんで。この子もテリーやホセフィーナのように幸せにしてあげられないかしら。」と言うのです。
勿論断ることも出来ました。でもその子を見ると子供を産んだ形跡がありました。お母さんだったんだ…。どんな経緯で事故にあって、どんな暮らしをしていて、どんな別れを経験したんだろうと思うと切なくなって、一緒に暮らそうと決めました。
ルビア(rubia)スペイン語で金髪のと言う意味の名前で呼ばれていましたが、私には巻き舌の「r」の発音が難しく、意味もあまり好きではなかったので、「黄金こがね」とつけ直しました。
そうして今4匹の犬と猫の福と暮らしています。
テリーは放浪癖があって時々居なくなってしまい心配させられます。でも繋いでばかりも嫌なので、気長に教えていくしかないと思って居ます。
ホセフィーナ、フィナと短く呼んでいますが、彼女は可憐な女の子という形容がぴったりです。ただ仕舞い忘れた軍手やノコギリなどをすぐに咥えて持って行ってしまいます。
黄金は車が大好きです。人が来ても全然吠えないくせに、ご飯が欲しい、車に乗りたい、一緒に行きたいという自分の要求はワンワンと大声でしつこく訴え続けます。
姫はそんな新しい家族を嫉妬しながらも受け入れてくれました。
私は益々家を空けられなくなりました。でもどこかへ出かけるよりも、今いる場所で今出来ることをこの子たちと一緒にしたいと思います。私はこの子たちに助けられ支えられていると感じます。私の目指す夢。未だ方法も手段も取っ掛かりも何もないけれど、それでもそれに向かって進んでると確信します。もう心配しません。
命は温かいと思います。