時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「国勢調査」

10月27日水曜日、アルゼンチンは特別祝日になりました。政府は当日8時から20時までのイベントや商業活動の禁止令を出し、郵便局、役所、病院などの公共施設は勿論、全国の学校、商店、露天市場でさえ休みでした。それは10年に1度の国勢調査の日だったからです。私はアルゼンチンに来て2度目の経験でした。

ところが、日本での国勢調査の記憶が全くありません。ですからお恥ずかしい話、こんな調査は南米だけなのかと思っていました。

念のためネット検索してみると、世界中で行っており、日本では5年ごとに国勢調査をしているではありませんか!そう言えば青年海外協力隊パラグアイに居る時、パラグアイでの国勢調査が行われていました。2年の任期ですから対象になるのかと思ったのですが、私には関係はありませんでした。下宿先の高校生の女の子が「私たちが一軒一軒回って調査するのよ。大変だわあ。」と言っており、また知り合いのパラグアイ人のおばさんは「嫌だわ。旦那が浮気して失踪しているのに、そんなことも高校生の子供に言わなきゃあいけないんだから。」とぼやいていました。

さて、1990年10月、私は生まれて初めて国勢調査の経験をする事が出来ました。そして今回は二度目の経験です。中には「なんでそんな調査に協力しなきゃあいけないんだ!調査員が来ても会わない。」という人もいますし、南米らしいのは「調査員を装った強盗」の心配がとても多かった事です。

私も知らない人なら家に入れず、調査員の証明書を提示して貰うつもりでしたが、来たのは顔見知りの地元の雑貨屋のおばちゃんでした。

質問事項は先ず家の事。床、壁、屋根の素材、電気の有無、トイレの様式、台所の様子(燃料、水道の有無)、部屋数、冷蔵庫、コンピューター、携帯電話の有無。住んでいる土地の権利書の種類。家屋以外の建物(倉庫など)。家族構成。同居者、労働者の有無。そして先祖がアルゼンチン先住民かアフリカ先住民か。これはそのどちらでもなければ「否」のみ。この質問はなんだか意味深ですが、ここではあまり深く追求しないことにします。

次に個人事項。名前、生年月日、国籍、アルゼンチンにいつ来たか、既婚か未婚か、子供は居るか、学歴、5年前にいた場所、現在定住している場所、社会保険、年金は払っているか、先週現金収入を得る仕事をしたか、した場合はどんな仕事か、家族に障害者は居るか、コンピューターは使えるか、スペイン語の読み書きはできるか。

嘘をつく人もいますが、私は別にその必要もないし、嘘を考える方が面倒なのでありのままを答えました。

でも・・・・アルゼンチンでこの様な調査をしても、いったいどんな意味があるんだろう?と考えてしまいました。おばちゃんに、この調査結果を私たちが知る方法はあるの?と聞いても「この集計には時間がかかるからねえ・・・。」との答え。せめて人口を知りたいと言ったら、「この前の選挙の時調べたら、マジンの人口は700人だったけど、マジンの小中学校の生徒だけでも500人いるのに、人口が700人なんて信じられない数よねえ・・・。」と、良く分からない答えが返ってきました。

難しいことや、政治的なことは私の頭には不向きなので、アルゼンチンの10年に1度の国民的イベント国勢調査に参加して面白かった〜と南米的に楽しむだけにしておくのが一番のようです。