時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

元気だった。駐車場のマンサニージャ

f:id:nojomallin:20190218221852j:plainf:id:nojomallin:20190218221234j:plain
パタゴニアに来て私はハーブティーを飲むようになりました。
それは自生のハーブが取れるからです。
メンタ(ハッカ)は収穫しやすく保存しやすく飲みやすく、冷たくても温かくても美味しいお茶です。以前、ビニールハウスがあった時はレモンバームがありましたが、ビニールハウスを壊してからは気温が足りずに枯らしてしまいました。
ロサモスケータ(ローズヒップ)はそこら中に生えていますが、棘があり収穫しにくく、種がぎっしり詰まっていて、それを取って乾燥させるのにも手間暇かかり、ここ数年は季節に実を収穫して楽しんでいますが、保存する事はなくなりました。
ラベンダーの花は独特の香りがしてちょっと渋いのでハーブティーとしてはあまり飲まず、こちらのお茶マテ茶に混ぜて時々楽しんでいます。

我が家とエルボルソンの町では標高が100mくらい違うので、植生が違います。
特に我が家は窪地にあって日当たりが悪く、それなのに乾燥気味で植物たちが育つ環境はあまり良いとは言えません。

この時期町に行くと私の好きなお茶マンサニージャ(カモミール)が花を咲かせています。
ええっ、こんな場所に?と思うような、砂利の多い歩道、駐車場のカラカラに乾いた場所に生えているのです。
あまりに埃っぽくって、人も車も犬も猫も野鳥も通る場所だし、流石に収穫してお茶にしようとは思えませんが、羨ましくて仕方ありません。
株をいくつか頂いて(勝手にですが)移植したり、種を蒔いたりしましたが、我が家には定着しませんでした。

なんとか自給自足に近付こうと、ビニールハウスを作ったことも、畑に羊の堆肥を買って入れたことも、電力を使って水やりをしたこともありました。でも一時的に良くなっても、それにかかる時間やエネルギー、経費はとても無駄な事だと気づき、また自然に大きく反したことをしていると思いやめてしまいました。
何もしないで自然に任せていたら、いつしか農場は木が育ち、草が伸び、果樹が増えました。
そうか、それで良いんだ。
私はここに育つ命たちと一緒に居られる。今いる場所に一番適した命が、どんどん育って行く。たとえそれが食べられなくても、生きているエネルギーの力を全身で受け止められる。
それがどんなに贅沢な事がわかりました。

とても快適と思えない場所に育っているんだから、我が家にだって咲いてよ、とマンサニージャに言いたくなってしまいますが、彼女たちには今いる場所が最高に気持ちの良いところなんでしょう。
だったら、街で出会ったマンサニージャに、
「いい香りだね。楽しませてくれてありがとう。頂きます。」と、命のエネルギーを体いっぱいに感じさせてもらおうと思います。

嬉しかった。農場のアマンカイ

f:id:nojomallin:20190204230127j:plainf:id:nojomallin:20190204230235j:plain

1月末から雨が降らなくなり、どこもかしこもカラカラに乾いてきました。
朝露さえ下りなくなりました。

放火による山火事が広がっています。毎年毎年繰り返される事です。
日本の様に放火に対する刑罰が殆どなく、犯人が分かっていてもどうすることも出来ません。
放火も犯罪として逮捕するべきだという人もいますが、殺人をしても数年、数ヶ月で出てきてしまう国です。根本的な解決にはなりそうもありません。

我が家は草を刈らず、そのまま放置しています。手が回らない事もありますが、草が茂っていた方が大地に水分が保てるからです。
ボルソンの町へ入る国道沿い。
以前は草のしげる原っぱでしたが、整備して遊歩道を作りました。草を刈り、根こそぎ耕した後、芝生を植えましたが、しょっ中芝刈りをして、枯れない様に一日中水を撒いています。
歩道は水浸しで歩けず、人は車の走る道ギリギリのところを歩いています。
一体何の為の遊歩道か?芝を刈るからエネルギーを使っての水やりが必要になるんじゃないのか?といつも不思議な気持ちで見ています。

我が家は入り口から家まで500mくらい細い車道が続いています。両側は林で、道の上に枝が伸び、所々緑のトンネルを作ってくれています。
2年連続の大雪で木が倒れたり、枝が折れたりしたのでこの林の整理をしました。すると少し開けた場所にアンデスの山百合アマンカイが広がりました。
今年は道の両側にも広がり、1ヶ月以上可愛い花を咲かせています。

私はこの花が好きです。アマンカイが蕾をつけると、「ああ年が変わるな」といつも思います。
お正月前後が初咲きの時期です。
百合といっても小さく、百合根も細くて、食べられますが、わざわざ取って食べたいとも思いません。

今年、車道の両脇のアマンカイが、私をとても楽しませてくれました。
それは両側の花の色の濃さが違っていたからです。
片方は普通の黄色。もう片方はそれより濃い山吹色なのです。
山吹色の花は、農場の隅の日陰の湿気の多い場所に少しだけひっそりと咲いていました。毎朝犬達と見回りで農場を回っていた頃、そこでそのアマンカイを見るのが楽しみでした。
けれども昨年から、坂を下りたり登ったり、水路を飛び越えたりするだけの体力がなくなってしまって(気力かも?)、行かなくなりました。
それが、毎朝犬達と散歩する歩きやすい車道脇に、山吹色の花が咲いたのです。
あんな乾いた場所に…。
私にはそれが 、アマンカイ達の大きな優しい贈り物に思えました。

出来ない事や行けない場所も増えてしまったけれど、アマンカイ達から
「そんなの大した事じゃないよ!いつも一緒にいるよ。」と言う大きなメッセージを受け取ったのです。

ありがとう。
私を包む自然は、いつも本当に優しく温かいです。

楽しかった。エルボルソンの書き初め

ここ数日快晴で日中は30度近くになります。でも早朝は5度近くまで気温が下がり、寒くて午前中ストーブを焚く日もあります。
日本の様に湿気がないので30度になっても、日陰や室内では涼しく感じます。

私が移住した25年前は、エルボルソンに日本人は4人、日系人は子供も含め6人程でした。それが今では日本生まれの日本人は6人、おじいさんが日本人とか、ひいお婆さんが日本人とかの日系人まで含めると50人近くになりました。
日系人で日本語を話す人は殆どいませんが、それでもみんな日本人をとても意識していて、日本の文化や習慣を子供たちに伝えていこう、アルゼンチン人に紹介しようと日本人会を作ろうという話が持ち上がりました。
年末に初めての集会があり、その時は発起人家族と僅かな人しか集まりませんでしたが、連絡網やFBを作って呼びかけたら、新年早々の集会には30人以上の人が集まりました。
私は長くここに住んでいますが、正直言ってこんなにたくさんの日系人がいることに驚きました。第1回集会で、新年の第2回集会では何か日本的な事をやろうという事になり、私が書き初めをする事になりました。
日系人だけでなく、日本に興味がある人も参加してくれました。寿司やおにぎり、串カツなどのご馳走も持ち寄り、和気あいあいの集会になりました。
役員選考、今後の活動などの話し合いを書き初めと並行して行ったので、書き初めに参加出来たのはそれを目的に参加したアルゼンチン人や子供達だけでしたが、私の持っている筆、硯がフル活動でした。墨を擦るのが間に合わず、一本だけ持っていた墨汁を水で薄めて使いました。
習字紙は貴重なので、最後に1人3枚だけ清書をしてもらって、あとはこちらで売っているわら半紙を切って練習用としました。
ただ、日本語を知らない、ましてやひらがなも漢字も分からない人に習字を僅かな時間で理解してもらう事は至難の技です。筆の持ち方、姿勢だけは説明しましたが、筆運びの練習は初めっから諦めました。
書き初めという事で、新年の抱負を書いてもらおうとしましたが、抱負の意味が理解できずに戸惑ってしまい、今年の夢、希望を聞いてもピンと来ない様で、結局「平和」「愛」「健康」などの言葉になりました。
筆運びを説明するのは無理なので、私が手を持って一緒に書いて、感覚を覚えて貰おうと、
「力を抜いて、一緒に書いてみましょう」と言うのに、私の手に抵抗するかの様に、ぐいぐい勝手に進んでしまう人もいてなかなか大変でした。
会場の使用に時間制限があり、日本の習字ってこんなもんだよ、こんな道具を使うんだよ、と言う程度のことしか出来ませんでしたが、「なんて素敵なの!」「面白いわ」と、みんなが感激してくれて嬉しかったです。練習で書いた紙全てを持って帰る人もいて、少しは日本文化の紹介になったかな?と自己満足しました。
私は書道の有段者でもないし、小学校の頃、お寺の習字教室に通った程度の経験なので、本当はこんないい加減なハッタリしちゃいけないのかもしれませんが、習字を書くのは好きで家で一人で時々書いていますし、私のできる事で喜んでもらえる事があるならやっていきたいと思っています。
会の運営となると、考え方、運営方法、目的、出費 、派閥などいろんな問題が出て来てしまいますが、和気あいあいのとても楽しい出発点に今みんなが立っているので、このエネルギーを楽しんで大切にして、私に出来る事は一生懸命やろうと思っています。

美味しかった。パタゴニアのお餅つき

nojomallin2019-01-07

2019年が始まりました。
今年もよろしくお願いします。

イブと大晦日の夜は、毎年毎年爆竹鳴らして音楽かけて大騒ぎするのがこちらの習慣でした。勿論動物が怖がる、うるさいと嫌がる人も多いですが、騒ぐ人達は他人の事なんて御構い無しです。
パタゴニアは夏は乾燥と風の季節なので、火事防止から爆竹禁止令は毎年出ていますが、規則はどう潜り抜けるかをまず考えるアルゼンチン人。いい加減にして!とうんざりする騒ぎが続いていました。
でも去年は驚くほど静かな年末でした。爆竹を買うお金も、アサードして大騒ぎするお金も無いくらい経済危機だったのでしょうか。

年末チリに住んでいる日本人の友人が餅米持参で遊びに来ました。我が家には自家製臼と杵があります。大晦日に友人日系家族、スペイン人の友人達を招待して餅つき大会をしました。
総勢11人。もち米5キロを用意して4回餅をつきました。そのうち1キロは玄餅米。日本では珍しいものだと思います。
小豆あん、大根おろし、きな粉、醤油だれ、胡桃あん、海苔、胡麻味噌、チーズを用意し、搗き立てを好みのタレで食べてもらいました。
玄餅米は蒸すのに普通の餅米の3倍の時間がかかり、搗いてもなかなか固まらず苦労しました。つぶつぶも残ってあまり伸びませんでしたが、味は餅の甘みとコクが濃く、驚く程美味しかったです。
みんな餅を搗くことを楽しみ、搗き立て餅を美味しいと喜んでくれました。

私は米粒がかすかに残るくらいの搗き具合が美味しいと思いますが、二世の友人はテラテラになるまで搗きたがったし、日本人の友人たちもそれぞれの好みがあり、のし餅の大きさ、厚さにもこだわりがあって面白かったです。(みんな8ミリくらいの薄さにするのでびっくりしました)

今夏は総じて低温でストーブを焚く日もあります。国境のアンデスの峠では雪が降っていたとか。そうかと思うと、30度近くまで気温が上がる日もあって大変です。

どんな年になるか?ではなく、こんな年にしよう!と目標を持って進んでいきます。
今年出会える人と動物、経験する出来事、実現する夢、咲く花、育つ木、実る果実。
2019年も楽しみが一杯です。

ともにいきる此れからも

日本では年末の慌ただしい時でしょうか?
こちらは暑く、薪準備に忙しい毎日です。
ああ、もう1年が終わるんだなあ〜という感慨もない、ごく当たり前の日々を過ごしています。
こちらではクリスマスイブと大晦日の夜は爆竹鳴らして音楽かけて大騒ぎをしますが、年が改まる厳粛さとか、一年の抱負とか、決意とかそんな物全然ありません。
1日には会った人には「おめでとう」の挨拶をしますが、2日からは平日の当たり前の夏の日が始まります。
日本のお正月が懐かしいなあと思う反面、こちらのあっさりとした新年も気に入っています。

今回が2018年最後のブログとなります。
私の気ままな独り言にお付き合いいただいてありがとうございました。
自分の気持ちを伝える事で、自分を見直すことが出来ています。書く事で、よーし前向きに行くぞ!挫けないぞ!と自分を奮い立たせる事もできます。
そんなダメダメな私を支えてくれる私の周りの自然や動物たちや人、パタゴニアの優しく温かいエネルギーを、少しでも読んでくださる方にお裾分け出来たら嬉しいです。

今回は私の相棒たちを紹介します。


箱入り娘は「伏姫 」11歳。体が大きくて吠えるので、周りから怖がられていますが、気が小さくて甘えん坊です。髪の長い髭のある男性が大嫌いで、子供が大好きです。
下敷きになっているのは「ホセフィーナ」3歳くらい。弱虫でよくいじめられて悲鳴をあげています。ものすごい悲鳴がするので、血みどろになっているかと思えば、ケロリとして出てきます。
上にいるのが「黄金こがね」6歳くらい。食べる事と車が大好きです。自分の要求を伝えるために感高い声で吠え続けます。
ミルクを飲んでいるのは「福」16歳。非常に賢い猫で、構われるのが大嫌いだけど、自分が構って欲しい時は、ゴロゴロ音を響かせてすり寄ってきます。長生きして欲しいです。
その脇でじっとお残りを待っているのは「テリー」4歳くらい。わがままで放浪癖があります。手の掛かる子ほどかわいいと言いますが、私もついついテリーを贔屓してしまう時があります。
フィーナとテリーと黄金は2年前、動物保護協会から引き取りました。

命は温かいと思います。この子たちと居ると、私の所に来てくれてありがとう。甘えてくれてありがとう。力をくれてありがとう。絶対お前達を置いてきぼりにしないからね。いつもそういう気持ちで心が一杯になり元気が出てきます。


どうぞ2019年も健康に楽しく幸せにお過ごし下さい。
それは全部、今自分の中に持って居るものなのですから。


あじわうパタゴニア

写真は南極ブナに出るきのこです。
こちらではhongo de llano llano(ジャオジャオきのこ)と呼ばれていて、木の幹にぼこぼこ出て、やがて乾いて木化し瘤になります。
実はこのきのこが出るのは11月です。今は干からびて木化されつつあります。
ずっと以前、我が家に押しかけ滞在した日本人のカメラマンが、「このきのこ、茹でてわさび醤油で食べると美味しいよ」と言ったら、食べきれもしないのにビニール袋一杯、それこそ根こそぎ取ってしまった事があって、それ以来、旬の時期には内緒にしているのです。
茹でるとヌメヌメが増し、こりこりしていてほんのり甘く、私は大好きです。
健康維持のため、数年前から小麦を食べる量を減らし(ゼロを目指しているのですが、なかなか難しいです)玄米、生菜食を基本にしています。動物性タンパク質が私には合わないと分かり、チーズやクリームは美味しくて好きですが招待された時以外食べていません。
「そんなんでは栄養が偏るよ。大丈夫?」
と心配される事もありますが、栄養の常識が本当に人の体に良いものなのか、今は疑問に思っているので、自分の一番気持ちのいい方法、一番調子がいい方法を選んでいくことにしています。
元々食には関心が薄く、グルメとか郷土料理とか隠し味とか、そういう事を探求し楽しむ事もありませんでした。
ここへ来た時は、自分で作り出す面白さも感じ、いろいろ挑戦し作ったりしました。けれども食事療法を始めてから、食に対する考えがずいぶん変わりました。それで以前の様にパンを作ったり、うどんを打ったりしなくなりました。そして山菜をとって、工夫して食べようという気力もなくなりました。
きのこを探す集中力や視力が追いつかなくなった事や、林に入って藪をかき分けて根曲竹の新芽を収穫する運動能力が衰えた事も大きいです。
でもこのジャオジャオきのこだけは、旬に少しづつ収穫してきて楽しんでいます。面倒なアク抜きや調理が必要ない事も私にピッタリです。
私の春の味、パタゴニアの味です。

今年もまたクリスマスが近づいています。イブの夜の大騒ぎが、ずっとずっと憂鬱でした。
今でも好きにはなれませんが、でも憂鬱になる事もありません。
一年に一度の大騒ぎ。みんな楽しんだらいいよ。好きな人や家族と素敵な夜を過ごしてね。ただし爆竹は怖がる動物たちのため控えめに。火事には気をつけてね。と思える様になりました。
幸い今のワンコたちは真夜中の爆竹音にも驚かず、怖がる事もないので助かります。

環境の変化や対人関係、私の周りを取り巻く色んなことは驚くほど変わって来ているはずなのに、私の中で淡々と静かに時間が流れていきます。
今年もまたクリスマスをパタゴニアで迎えられた事、感謝したいと思います。
皆様も楽しい時間をお過ごしください。




ただよう香

12月になって、突然、本当に突然暑くなりました。
本来なら10月にはタイツを脱ぎ、ストーブも焚かなくなる日が多くなるのですが、今年は11月でも殆ど一日中薪ストーブを焚き、スボンの下にはタイツも履いていました。
私は朝4時から豆腐作りを始めるのですが、ギリギリまで寒くて布団から出られない日がずっと続いていました。
12月に入って、早朝は流石に肌寒い日もありますが、以前のような覚悟は無しに起きられるようになり、日中は25度を超える日もあります。
湿気がないので、直射日光の下では、キリキリ肌が焼けて行くような熱さを感じます。
アンデスの山の雪が、太陽に反射してテラテラ光って眩しいです。農場の草達も一気に成長し、緑のジャングルになり、中々趣きがあります。犬達がいないと思ったら、その草のジャングルからむっくり起き上がってきたりします。

林の中では流石に草はあまり生えていませんが、野生の欄があちこちで咲いています。
この花は、とても甘い香りがするのです。それは少し離れた所でも風に乗って漂ってきます。
晩春の香りです。
ここへ来てからずっとずっと、この花の香りに夏の訪れを感じて来ました。
この時期は薪の準備に忙しく、林から枯れた木を切り出して運び、のこぎりで短くして、太いものは斧で割っていきます。そんな仕事を私はとても好きですが、やはり重労働です。でもこの欄の可愛い姿と、甘い香りに出会うと、「ああしんどい。疲れた。」と思うよりも、「ああいい香り。幸せ。」と思うことができます。

「年齢的に、そろそろ便利で安全な日本へ帰ることも考えたら?」と親切に言ってくださる日本人の方もいます。
それも一つの選択です。
でも私はこの農場で暮らす選択をしました。
此処には私が積み上げて来たものがあります。木や果樹や花や、一緒に生きてきた命に囲まれています。私について回る犬達がいます。膝に乗って喉をゴロゴロ鳴らしてくれる猫がいます。
そして何よりもアルゼンチンは、がさつでいい加減で無神経な私に合っています。
外から見たら、それはとるに足らないものかもしれませんが、私にとっては何ものにも代えられない価値あるものなのです。

今を大切にしよう。起こってもいない先のことをあれこれ心配するのはやめよう。全てのことに全力を尽くそう。楽しもう。感謝しよう。
そうしたら、ずっと先、私がこの世界を卒業する時が来ても、「面白かった。ありがとう。」と心残りなく言える状況が整っていると思うのです。
そして此処を愛してくれる人達が、私の後もずっと続いていく姿を想像しています。